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コロナ自殺、一体なぜ…「周りに迷惑をかけて申し訳ない」という「加害者意識」の正体
感染者が訴える「加害者意識」
1月22日、「コロナ自宅療養者自殺」という非常にショックなニュースが飛び込んできた。新型コロナウイルス感染により自宅療養中だった東京都内の30代の女性が亡くなり、残されたメモには、周囲に迷惑をかけてしまった後悔などが綴られていたという。
女性の娘も感染したことから、女性は娘が学校で居場所がなくなるかもしれないと夫に相談しており、社会から排除される不安が背景にあることは間違いないようだ。 筆者が代表を務めるNPO法人WorldOpenHeart(WOH)では、「新型コロナ差別ホットライン」を設置し、差別に悩む感染者や家族からの相談を受けてきた。感染者が抱える絶望感は想像以上に大きく、「死にたい」と訴える相談者も少なくない。 本稿では、「周りに迷惑をかけて申し訳ない」といった日本の感染者が抱える「加害者意識」の正体を明らかにし、同様の自死を防ぐために何をすべきか考えてみたい。 「いろんな方に迷惑をかけてしまったかもしれないと思うと、心苦しくなります……、コロナが感染したらすぐ死ぬ病気だったら、むしろ楽だと思います……」 震える声で訴える山本くみさん(仮名・30代)は、夫の感染による濃厚接触者としてPCR検査を受けたところ陽性が確認された。子どもたちも感染しており、山本さんは子どもたちが学校や習い事の場で感染を広めてしまったのではないかと思い悩んでいた。子どもは大人のような徹底した予防が難しい。 「感染までの行動を考えると、あそこでうつしたかもしれない、あの人にもうつしてしまったかもしれない……、考え始めると怖ろしくなり眠れません」 自宅療養中、山本さんは目が覚めるとすぐに周囲の人たちのSNSを見て感染したなどの書き込みがないかを確認していた。 「いつも通りの書き込みがあると、この人は健康なんだなと安心するんです。しばらく書き込みがない人はどうしたんだろう……、体調を崩しているんじゃないかとすごく不安になります」 山本さんは、感染の事実を友人ひとりだけに打ち明け、周囲で感染者が出ていないか日々確認してもらっていた。 「友人のひとりが熱を出したって……、もう、終わりです……」 筆者は、20日間くらいの間、山本さんから何度もこういった連絡を受けては落ち着くようにと宥めていた。 その後、山本さんの家族は重症化することなく回復し、無事に社会復帰することができた。山本さんの周囲で感染が確認されることもなかった。 「もし、感染を広めてしまっていたら、生きていられなかったかもしれません」 陽性を宣告されてからの山本さんは、身体の不調を感じる余裕がないほど周囲の様子が気になり神経をすり減らしていた。 感染者の社会復帰への不安は、自殺の要因となりうる。
「私が祖父を殺した……」
斉藤唯さん(20代)は、両親と祖父と同居しており、家族全員が感染した。唯さんが所属するクラブ活動でクラスターが発生し、唯さんから家族に感染した可能性が高いという。唯さんと両親は無症状だったが、70代の祖父が高熱を出し入院することになった。順調に回復したかと思われたが様態は急変、帰らぬ人となってしまった。 唯さんは幼い頃から祖父によく懐いており、「自分が殺した」と自責の念に苛まれていた。 祖父とは入院中に面会することもできないまま、葬儀も家族三人だけの寂しい別れとなった。十分な別れの時間も与えられず、人付き合いの多かった祖父を、生前交流のあった人々と一緒に見送ってあげられなかったことも唯さんの罪責感を深めていた。 唯さんの家族は皆、感染したことでどこか後ろめたい気持ちを抱えており、周囲と悲しみを共有することが難しい。 社会的に孤立し、罪責感を募らせていく感染者も多いと思われる。
感染者が抱く「罪責感」の正体
WOHは、加害者家族支援を専門としている団体であるが、同時にコロナの差別問題に取り組み始めた理由は、感染者やその家族が受けている差別が加害者家族への差別の構造と同じであると考えたからである。 感染者報道をきっかけに、インターネット上では感染者を特定するような書き込みがなされ、感染者やその家族が誹謗中傷により転居しなければならない事態にまで発展している。感染者やその家族や関係者が、世間を騒がせたことに対して謝罪を余儀なくされる状況も加害者家族の状況と同じである。 上記の事例のような感染者が周囲に対して抱く「罪責感」は、過失によって他人を傷つけてりまったり、店で食中毒を出してしまった加害者の罪責感ともよく似ている。過失犯であれば、意図した行為でなくとも一定の責任を負わなければならないが、コロナ感染者はたとえ誰かに感染させてしまったとしても責任はないはずだ。それでも、周囲に対して道義的責任を背負い込まなければならないのは、世間の同調圧力があるからである。 加害者家族は欧米諸国では「隠れた被害者」「忘れられた被害者」と呼ばれ、「被害者」と見做されている。たとえ犯罪者が育つ環境に家族が悪影響を与えていたとしても、行為をしたのは犯罪者であり責めを負うのはあくまで犯罪者なのだ。ところが、同調圧力にはこうした理屈は通用しない、「世間を騒がせた」ことが「加害」であり謝罪を要求されるのだ。したがって、本来「被害者」と見做されるべき感染者やその家族も加害者意識を背負わされるのである。 私たちが幼い頃から刷り込まれている世間のルールに、「人に迷惑をかけてはならない」という言葉がある。突き詰めると、他人の世話になることを否定する言葉である。病気になれば誰かの世話にならなければならないし、病気を他人にうつしてしまうこともある。誰しも病気にかかることはあり、個人の問題ではなく社会の問題であるはずだ。 責任感が強い人ほど個人として問題を抱え込みやすい。他人の世話になっては申し訳ない、私が責任を果たさなければという思考は支援を遠ざけていく。罪責感が深い人ほど誰かに相談しようという発想はなく、とにかく責任を取らなければならないと考えた末に命を絶つ結果を招いてしまっている。 日本では、こうした引責自殺が多すぎる。加害者家族の自殺はその典型である。さらに、元農水事務次官による長男刺殺事件のように、家族の問題行動に悩んだ末の「引責殺人」も起きている。将来起きるかもしれない犯罪を防いだと加害者に同情する声もあり、半ば正当化されている風潮もある。なぜこれほどまでに、命が軽視されるのか。 1月10日の朝日新聞によると、新型コロナウイルスに関する調査で67%の人が「健康より世間の目が心配」と回答したという。日本人のコロナウイルスとの戦いにおいて、「世間」というキーワードを外すことはできない。守られるべきものは命であって、世間体ではないだろう。
社会復帰しやすい環境整備を!
社会的責任を負わなければならなかった加害者やその家族たちも、差別や排除に悩みながら、さまざまな支援を経て社会復帰したケースは多々存在している。加害意識に苛まれている感染者やその家族のケアとして、安易な同情や慰めではなく、具体的なエピソードを伝え、罪責感を共有することが求められている。 学校や職場では、感染者が過剰に気を遣わず復帰できるような環境を整備することが必要である。特に復帰の初日は、「おかえりなさい」と温かく迎える姿勢を示すことである。 いまの日本社会は、他罰的な風潮が強い。その背景には、多くの人が同調圧力のストレスを抱え、誰かを攻撃することで一瞬の解放感を得ている構造が見える。新型コロナウイルスは誰しも感染する可能性のある病気であり、明日は我が身のはずだ。他人を許せる社会になることがコロナ禍の課題であり、失われる命を防ぐことになる。
引用先:コロナ自殺、一体なぜ…「周りに迷惑をかけて申し訳ない」という「加害者意識」の正体(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース