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「中年の引きこもり」ドイツではありえない理由
「中年の引きこもり」ドイツではありえない理由
「親元を離れないこと」は社会的に格好悪い
近年「中年の引きこもり」が話題になっています。先月には30年以上にわたり引きこもっていた56歳の男性が両親の死後に自宅で衰弱死していたことがニュースになりました。また今年5月には川崎市で10年以上引きこもり生活を続けていた50代の男が近所でスクールバスを待っていた児童とその保護者らを次々と刺した後に自殺するという事件が起きました。
これらの事件が起きる少し前、今年3月に内閣府は40歳から64歳の中高年の引きこもりの人数が推計61万人という調査結果を発表したばかりです。彼ら彼女らの半数は、引きこもり期間が「7年以上」でした。
興味深いのは上記の「40歳から64歳の推計61万人」という数が、15歳から39歳の引きこもりの数である推計54万1千人を上回っていることです。これが今の日本ではいわゆる「8050問題」(引きこもりの当事者が50代になり、親が80代になると、収入や介護の面で問題が発生する問題)として問題視されています。この「引きこもり問題」は、日本だけの現象なのでしょうか。
「親離れしない」のが格好悪いドイツ
ドイツを含むヨーロッパの人はこの日本の「引きこもり」を不思議に思うことが多いです。というのも、ドイツで「引きこもりの娘や息子」の話を聞くことはありません。
ドイツの子ども、とくに思春期や10代の子どもは「成人したら家を出ること」を楽しみにしており、親もまたそれを楽しみにしています。子どもは「大人になったら、家を出て自分の好きなように生きる」と思っていますし、親もまた「18歳になるまでは親の言うことを聞きなさい!」というような叱り方をします。
ドイツの場合、成人年齢は18歳で、「子が18歳になるまでの我慢」と親と子の双方が思っています。これだけを聞くとなんだか冷たいようですが、それだけ「子どもの自立」が重要視されているということでもあります。
まれに自立しない子どもがいると、周囲の人から「あいつはいつまでもホテル・ママ(ドイツ語: Hotel Mama 意味:上げ膳据え膳の実家という意味)を離れられないんだ」と揶揄されることもあり、「親元を離れないこと」は社会的にもカッコよくないことだとされています。
前述どおり、ドイツでは親も子も「18歳」を楽しみにしていますから、親側は成人した子どもの面倒を延々と自宅で見る気はさらさらありません。なぜなら夫婦(またはカップル)の仲がよければ、子どもが自立した後は「パートナーと2人の時間を過ごしたい」と考えるのが一般的だからです。
逆に親がシングルの場合は恋愛活動に忙しくなります。また自分の趣味や旅行に時間を費やしたいと考える親も多いです。ドイツを含む欧米社会は「カップル社会」であり、何歳になっても「カップルでいて恋愛をしていること」が重要視されていることもあり、恋愛が優先されます。「成人した子どもの面倒を見なければいけない」と考える親はあまりいません。
子どもが独り立ちする時期について家庭によって多少の差はあるものの、「成人したらなるべく早く親元を離れるのが健全」というのがドイツの社会の共通認識です。子どもが親元を離れた後は、家族の誕生日やクリスマスに集まります。仲のよい親子であってもそうなのですから、ドイツ的な感覚だと、「親と仲が悪いけど、成人後も一緒に住む」というのはありえないことなのです。
ドイツでは「若者のゲーム依存」が問題に
このようにドイツでは「引きこもり」の問題は身近ではありませんが、その一方で近年「若者のゲーム依存」が問題視されています。ドイツの法廷健康保険組合DAK(被用者代替組合)によると、ゲーム依存だと診断された若者こそ約3%にとどまるものの、危険で病的なゲームの仕方をする「依存症予備軍」の若者は約50万人もいるとされています。
ゲームにのめり込んだ10代の子が頻繁に学校を休むという結果も出ています。ただ、これが日本でいう「不登校問題」に発展しているかというと、少し違います。ドイツでは就学義務が厳格に管理されているため、日本のように「不登校の子どもを長い目で見守る」ということはありません。
具体的にいうと、ドイツでは医者の診断書が無いまま長期にわたり学校を休むと、学校から親に連絡がいき、その際の親の説明が不適切だと判断されると、警察に通報されてしまい、警察が自宅に様子を見に来ることがあります。
ドイツでいう「就学義務」は「学校に行く」という意味ですので、アメリカのホームスクーリングのような「学校以外の場所で学ぶこと」は基本的には認められていません。そのため不登校問題がメディアなどで割とオープンに語られる日本とは違い、ドイツでの「不登校」は場合によっては法に触れる可能性もあるため、ドイツではオープンに取り上げられにくいという現状があります。
これは「引きこもり」の問題に関してもいえることですが、ドイツ社会は「社会から自ら距離を置く人」に対して容赦なく、日本よりも厳しいです。
「わが子」と「世間体」どちらが大事か
日本で「長期に渡り引きこもり生活を続けている中年」の話になると、必ず「これほど長引く前に、なぜ周囲に相談をしなかったのか」と疑問の声があがります。確かに川崎殺傷事件でも10年以上引きこもりを続ける甥について叔父叔母夫婦は初期の段階で行政に相談をしておらず、相談をしたのは今年に入ってからでした。
初期の段階で自治体の相談窓口など公的機関に相談しない理由はさまざまですが、セーフティーネットに頼ることが「世間に迷惑をかけること」だと考える親もいるようです。「家庭内の問題が外に知れると、兄弟の結婚に響くのではないか」とか「家族の仕事に悪影響があるのではないか」などと心配し、結果として「問題を抱えている娘や息子の状態がよくなること」よりも「世間体」を優先してしまっている場合もあります。
確かに日本には「個人」よりも「家」を大事にする習慣があり、個人が問題を起こすと、世間は「あの人は……」にとどまらず「あの家は……」と「家全体」を白い目で見る傾向があります。
引きこもりの問題は当然ながら周囲に隠したまま解決できるケースばかりではなく、川崎のケースのように最悪の結果を迎えてしまうこともあります。そう考えると、日本で引きこもりの問題が長期化しているのは「恥の文化」と無関係ではないといえるでしょう。
ドイツには「家庭内の問題を外に知られるのは恥」という考え方はないため、ドイツの雑誌では罪を犯した人の親が名前も顔も出したうえで、「なぜ子どもが罪を犯してしまったかと思うか」について語り記事になることもあるぐらいです。世間もそれを見て親を非難する様子はなく、むしろ大変な思いをしている家族に同情する傾向があるので、「社会の雰囲気」そのものが日本とは違うのかもしれません。
「子の自立」を妨げる日本社会
「引きこもり」の問題以前に、日本で暮らすと親子の密着度が高いと思うことがたびたびあります。例えば大学生が企業に内定すると、その学生が親の反対を受けて内定を辞退しないように、企業が学生の「親」を説得し囲い込むこともあるといいます(いわゆる「オヤカク」)。こういったことが完全に悪いことだとは言い切れないのかもしれませんが、少なくとも「子の自立」とは遠いところにいるのは間違いないでしょう。
ドイツを含むヨーロッパの10代や20代は大学の進学先や勤め先について親に報告することはあっても、「親の同意を求めなくてはいけない」と考える人はあまりいませんが、日本では成人後も「親に相談する」ことが世間でも当然視されているようです。
そういったことが、子が成人後も実家に住み続けたり、引きこもりを続けても、そのことが問題視されながらも、どこかで容認されてしまっていることにつながっているのではないでしょうか。
アメリカでは「両親が家を出て行かない30歳の息子を訴えた」ことが昨年ニュースになりました。
ニューヨーク州郊外に住むロトンド夫婦は息子に当初「2週間以内に家を出ていくように」という旨の手紙を書き、息子が自立するための援助も申し出ましたが、その後息子が家を出ていく気配がなかったため、夫婦はニューヨーク州最高裁に提訴したとのことです。
そして裁判所は「息子は家を出て行かなければならない」と判断をしたため、息子はようやく家を出て、その後Airbnb(民泊物件)で暮らしています。この場合は、両親が司法に訴えてようやく「子どもの自立」が実現した形です。
それにしても「わが子を訴える」というのは日本の感覚だとなかなか衝撃的です。このアメリカ流のやり方が日本でも通用するかというと、文化的にもおそらく難しいかと思います。
しかし、記事の冒頭のケースのように、高齢の親の死亡によって長年引きこもり生活を続けてきた中年の子どもが家に取り残されてしまうということがすでに起きている以上、「8050問題」を含むすべての「引きこもり問題」に本気で取り組まなければいけない時期にきているのは間違いありません。