関連ニュース・事件
「これが最後だから…」無職40歳が初彼女に貢いだ驚愕の金額
薬物、お酒、ギャンブル…。いつの時代も人々を悩ます「依存症」の問題。今回は、ずっと無職だった男性に人生初の彼女ができた結果、「恋愛依存」「DV」「家族依存」に陥ってしまった事例を紹介します。 ※本記事は医療法人社団榎会理事長である榎本稔氏の書籍 『ヒューマンファーストのこころの治療』(幻冬舎MC) より一部を抜粋したものです。
自分は依存症?「正常」と「異常」のわかれ目は…
依存症の対象はじつにさまざまです。大ざっぱな区分としては、「もの」「行為」「人」という3タイプに分けることができます。 「もの」への依存とは物質を“体内に取り込むもの”で、覚せい剤、大麻、危険ドラッグ、アルコール(お酒)、ニコチン(たばこ)、カフェイン、スイーツ、などがあります。 「行為」への依存とは“ある行為のプロセスのなかで得られる快感に執着する”もので、性(痴漢、盗撮、露出)、ギャンブル、ショッピング、食事(過食)、ダイエット(拒食)、自傷行為(リストカットなど)、仕事、カルト宗教、ネット(SNS、ゲーム、スマホ)、スポーツなどがあります。 「人」への依存とは“ある特定の人間関係に強く依存するもの”で、暴力(DV・虐待)、家族(ひきこもり)、男女の関係(恋愛)、女性、男性などがあります。 「コーヒーを毎日10杯以上飲むけど、病院に行ったほうがいいのかな?」「えー!? ネットやゲームのやりすぎも依存症になっちゃうの⁉」「スポーツの依存症なんて、逆に健康に良さそうだけど……」「なんでもかんでも“依存症”って病気にしすぎじゃないの?」と、思った人もいるかもしれません。 じつは、依存症であるかそうでないかのわかれ目は、ひじょうにあいまいです。こころの病とは、なにかを測定すれば数値にあらわれるものではありません。病気であるかどうかは“状態による”のです。
「お酒が大好き。」これって依存症なの
たとえば、私はお酒が大好きで、毎晩寝るまえに晩酌をします。もう何十年も続いている習慣で、いまさらやめろといわれても、そう簡単にはやめられないでしょう。おそらくお酒を飲まないと、うまく寝つくことができないかもしれません。そういう意味では、私も(軽度の)アルコール依存といえます。 けれども、それで大声をあげて家族や近所に迷惑をかけたり、朝起きられずに無断欠勤したり、職場で人目を盗んで飲んだりということはありません。日々問題なく、社会生活が送れています。もし、肝臓の機能などに障害が出れば内科を受診しますが、精神科での治療は必要はありません。 つまり、こころの病かそうでないかの最大のわかれ目は「社会生活が支障なく送れているか、いないか」にあります。もっといえば、学会などでその依存症が承認されているか、いないかも問題ではありません。こころの病はいつもそのときどき、時代時代の社会のスキマから生じます。 新型のうつが最初は「なまけぐせ」などとされたように、最初は見つけにくくほかの問題ととらえられがちです。ところが、学会ではそれなりの症例が確認されてから議論されますから、いつも後追いにならざるをえません。行政が対応するのは、それよりもさらに遅れます。 先ほど“行為”への依存で「ネット(SNS、ゲーム、スマホ)」をあげました。ネットはいまや、生活になくてはならないものです。知りたいことがすぐにわかって、さまざまな人と連絡がついて、買いものができて、ゲームもできる。こんなに便利なものはありません。 その弊害として、朝昼夜の区別なく1日じゅうネットの世界に入り浸って、現実社会の人間関係がまともにできなくなってしまった人が増えています。つねにSNSで誰かとチャットをしていないと不安になるのに、目の前にいる生身の人間とはろくに会話が交わせない。相手の気持ちを察したり、自分の感情をじょうずに伝えることができなくなり、ちょっとしたことですぐにキレたり、ひきこもったりしてしまうのです。 これは世界的な傾向で、アメリカの精神医学界でも精神疾患の診断マニュアル「DSM」を改訂するさいに「インターネット・ゲーム障害」を「物質使用障害」の1つに加えるかどうかが議論されました。今後、ネットがさらに普及・進化していくことで、問題はさらに大きくなり議論は深まっていくでしょう。 ですが、実際にいまネット依存で社会生活が送れなくなっている人は、その議論を待っている余裕はありません。現場の精神科医はその疾患が医学書に書いてあるかにかかわらず、目の前の苦しんでいる人によりそって対処する必要があります。依存の対象は時代とともに変わり、拡大しているのです。
無職の40歳男性。初めての彼女に「狂乱」した結果…
◆3000万円を貢いだ息子 依存症の最大の問題は、本人のみならず周囲の人、とくに家族を巻き込んでしまうことです。たとえばアルコール依存症は、症状が悪化すると酒を飲んで出勤したり、無断欠勤を繰り返してしまいます。 それがもとで減給や解雇の処分を受ければ、一家の生計が成り立たなくなるでしょう。外で暴力事件を起こせば、警察に呼び出され、被害者に謝罪し、裁判で多額の賠償金を科せられます。お酒を飲ませないようにすれば、家族も暴力をふるわれるでしょう。あげくには方々で借金を重ね、最後にはたいへんな金銭問題が残ります。 しかし、家族はまったく気の毒な被害者でしかないかというと、私はそうは思いません。多くの依存症者やその家族と向き合ってきた経験からすると、家族にも原因がある場合が多いからです。 ある日、無職男性(この人はもともと統合失調症でデイナイトケアに通っていました)は、40歳を過ぎて人生初の彼女ができました。ところがこの彼女というのが悪い女で、デートのたびに彼にお金をせびるのです。最初は5000円とか1万円だったのですが、だんだんとエスカレートしていって、10万円になり、20万円になり……最後には「100万円ちょうだい」と言い出したのです。 「息子をどうにかしてください!」と言ってきたのは、母親でした。しかし、彼はこれまで仕事に就いたことがなく、ずっと無職です。そんなお金は持っているはずがありません。ではどうしていたのかというと、両親が乞われるがままにあたえ続けていたのです。 私がびっくりして「なんでお金をあげちゃうんですか!?」と聞くと、「〇ちゃんが、かわいそうだから」というのです。子どもの頃から「愛情をもって育ててきた」とはいえ、これは甘やかし以外のなにものでもありません。しかも、息子はもう40過ぎ……子離れのタイミングを逸したままズルズルと今日まできてしまった結果でした。 両親が意を決して「もうお金はわたせない」と言うと、息子は狂ったようにわめき、手あたりしだいにものを投げ、暴力をふるいます。かわいいわが子に手を上げられる悲しさはいかばかりか。そうして「今度だけ」「これが最後」を繰り返してしまうのです。 彼の場合は人間関係に依存するタイプで「恋愛依存」「DV」「家族依存」の複合型です。どうしてこのような依存症になってしまったのかを探っていくと、やはり両親の育てかたに問題があったと考えざるをえません。 また、依存症者にお金をあたえると、病状をますます悪化させてしまいます。この男性の場合は両親がコツコツためた資産をほれた彼女に湯水のごとく使ってしまいましたが、このまま放置していれば借金の保証人にさせられて、さらに何千万円ものお金をむしり取られたかもしれません。 専門知識とノウハウをもった精神科医や福祉関係者が第三者として介入することで、問題を解決したり、少なくとも問題を起こさせないようにすることができます。家族の依存症で悩んでいるのなら、メンタルクリニックの診断を受けることをおすすめします。日本ではまだ依存症に取り組むデイナイトケアは多くないのが現実ですが、これから社会全体の問題として考えていく必要があります。
ADHDやアスペルガーは「病気」か?「個性」か?
◆荒ぶる魂が世界を変える 私は医療従事者としてクリニックを経営し、精神科医として日々患者さんたちを診ています。「医療」の枠組みの内側で仕事をしている私がこんなことを言っては元も子もないかもしれませんが、現在「こころの病」とされているもののいくつかには、あえて「病気」としなくてもいいのではないかと思うものもあります。 病気というのは、どこかが痛んだり膿んだりして、そのままにしているとどんどん悪化して健康を害してしまうものです。その意味では、依存症などはある一線を越えたところから病気と判断すべきかもしれませんが、たとえばADHD(注意欠陥多動性障害)やアスペルガー症候群、統合失調症などは「病気」ではなく「個性」ととらえてもいいのではないでしょうか。 先に、私は「こころの病かそうでないかの最大のわかれ目は社会生活が支障なく送れているか、いないか」であると述べました。つまり、社会がそれを正常の範囲内に受け入れれば「個性」であり、受け入れなければ「病気」とされるのです。 事実、歴史上にはいまの定義でいう「こころの病」でありながら、偉大な功績をあげた人物がたくさんいます。
変わり者?天才?「コンピュータを窓から投げ捨てた」
たとえば、万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートン(1643~1727)は、壮年期にうつ症状や被害妄想を見るなど精神錯乱状態に陥り、2年ちかくもひきこもりの生活を送っていたといいます。現代であればまちがいなく「統合失調症」の診断を受けたことでしょう。 夏目漱石(1867~1916)も、精神障害に悩まされた天才の一人でした。人生において3度も「神経衰弱」の診断を受けました。神経衰弱という病名はいまはあまり使われませんが、幻聴幻覚・被害妄想もあったといいますから、現在なら「躁うつ病」か「統合失調症」と診断されると思います。 相対性理論のアルベルト・アインシュタイン(1879~1955)は、3歳を過ぎても言葉を発さず、両親を心配させました(9歳になるまで自由にしゃべれなかったともいわれる)。また、ディスレクシア(読字障害)の兆候も見られ、大人になってからも簡単なスペルを幾度も間違えていたそうです。いま、精神科を受診すれば「発達障害」とか「アスペルガー症候群」といった病名が宣告されるでしょう。 最近では、アップルの創業者スティーブ・ジョブズ(1955~2011)が、ADHD(注意欠陥多動性障害)であっただろうとされています。医師が診察してそのような診断が下ったと公表されているわけではありませんが、数々のエピソード(自分の離職中に発売されたコンピュータを窓から投げ捨てたとか、たまたまエレベータで居合わせて自分の質問に即答できなかった社員をいきなりクビにしたなど)から判断するに、おそらくそうであったのでしょう。 「天才」と呼ばれた学者や芸術家、あるいは世界を変えるような功績を残した思想家や政治家がたぐいまれなる才能を発揮する一方で、こころの病(医師の診断があったかないかは別として)を抱えていた例は、枚挙にいとまがありません。あるいは、存命中の人物をここで挙げるのは適当ではないと思うので控えますが、精神科医として行動や言動を見るに「この人は、間違いなく〇であろうなあ」と思われる政治家(党首クラスの人物です)や有名人もたくさんいます。 周囲の人たちは、そうした症状(あるいは強烈すぎる個性)に振り回され、大変な思いをしていると思います。奇行やトラブルも数しれずあるでしょう。それでも才能が症状を圧倒し、社会は彼らを「病人」としてはあつかっていません。 もし、社会が「ふつうじゃないから」という理由で彼らを精神病院に閉じ込め、強い薬を与えつづけていたら、学術的な発見発明や人の心を揺るがすような作品は生まれていなかったに違いありません。 ときに世界は「きちがい」「変わり者」と言われた人たちの荒ぶる魂によって変革してきたのだという事実を、私たちは忘れるべきではないでしょう。そして「ふつう」の枠組みはその時々の社会や時代の空気によって“なんとなく”決まっているのだということも、知っておいていただきたいのです。 ※本記事は連載 『ヒューマンファーストのこころの治療』 を再構成したものです。 榎本 稔 医療法人社団榎会理事長 医学博士
引用先:https://news.yahoo.co.jp/articles/d8c93e59d4ab9a26b600d4dcc71ae566c2ceffe6?page=1