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「自分の子供の幸せな境遇に嫉妬してしまう…」毒親に人生を狂わされた子供たちの“苦悩と葛藤”
毒親の存在は認知されるようになってきたが、そんな家庭で育った“毒親育ち”の苦悩を知っているだろうか。近ごろはSNSなどで打ち明ける人も出てきたが、自身の親が毒親であることを隠して生きる人もいるという。 【画像】毒親育ちの2人が語った“子供時代の心境” その胸の内にはどんな思いを抱えているのだろう。今回は編集部に毒親エピソードを寄せてくれた2人に同意を得て、実際の被害体験やその後の人生についてお話を伺った。
両親の恐怖におびえて「道化」を演じた
関東地方在住の40代女性、いぷ子さん(投稿者名)が両親に違和感を感じ始めたのは、小学校低学年の頃から。自営業の経営に行き詰まった父親、その父親から家庭内暴力を受けていた母親、双方から暴言や人格否定などを繰り返されるようになった。 父親は定職につかず、酒やギャンブルにおぼれて、他人の陰口ばかり。酔っぱらった状態で突然平手打ちすることもあった。母親は精神的に不安定で、話しかけても「あっちにいけ」とあしらうことが多かったという。小学校時代、いぷ子さんがいじめを受けたときはそろって「どうせいじめられるようなことをお前がやったんだろ」と突き放した。 いぷ子さんには1歳上の姉がいたが、そんな家庭環境もあって引きこもりとなった。 そんな状況でいぷ子さんがしたのは、四六時中ふざけて両親を笑わせること。自分が傷付けられないための“逃げ道”として、道化を演じたという。 「姉が引きこもりになったので、親の被害が私だけに来る。親の顔色をうかがい、何とか生き抜こうと思いました。飼っていた動物の話を面白く伝えたり、コメディ漫画を書いて披露したり。志村けんさんのコントの真似もよくしました。ピエロのような感覚でした」
「あそこの家の子になる?お金くれるっていうんだけど」
家族から離れることを決心したのは、中学生の頃に起きたある出来事がきっかけという。 当時、いぷ子さんの父親はある釣り仲間(以降、Aさん)と懇意にしていた。Aさんは大企業の役員で父親に経済的援助をしていたが、その見返りとして家庭に入り浸るようになった。 下世話な話も多く、母親に手を出そうともしたため、いぷ子さんは快く思っていなかったが、そんな日々が続いたある日、母親からこのように持ち掛けられた。「あそこの家の子になる?あんたのことを養女にしたいって。お金くれるっていうんだけど」 それは、いぷ子さんがAさんの養女となる代わりに、両親が300万円程度を受け取るというものだった。Aさんがなぜ、いぷ子さんを養女として欲しがったのかは正直なところ分からない。ただ、実の親からお金で売られそうになったという、事実が悲しかった。 「私のことをいらないんだ。お金の方が大事なんだと。この家からいなくなったほうがいいんだと思いました。当時は誰にもそのことを言えませんでしたが、恐怖と親に必要とされていないことを実感しました。(両親にもAさんにも)信頼はありません」 いぷ子さんが断固拒否したことで話は流れたが、この一件で両親に対する不信感は一層強まり、一刻も早くこの家族から離れたいと思うようになったという。高校卒業後はすぐに就職して一人暮らしの資金をため、20代前半で実家から上京。距離を置くようになった。
自分の子供にまで毒親の影響を感じる
しかし、両親から受けた心の傷はそう簡単にはふさがらなかった。 自己否定感や他人への不信感を拭い去ることができず、パニック障害やうつ病に悩まされた。25歳で結婚するも、子供も持つことに嫌悪や恐怖を感じてしまい、妊娠できなかったという。 転機となったのは、35歳のときに「毒親」という言葉を耳にしたこと。意味を調べて「もしや」と思い、精神科のカウンセリングを受けたところ、毒親による「機能不全家族」と診断された。考えぬいた末、両親と絶縁することを決断した。 絶縁を伝えるときにも、両親とはひと悶着あったというが、その後は闇が晴れたかのような気持ちになったという。子供を持つことにも前向きになれ、2人の子宝にも恵まれた。 だが、そうした幸せの最中においても毒親の後遺症を感じることがあるという。 いぷ子さん自身の子供時代と重ねてしまい、自分の子供が幸せな家庭環境で暮らしていることに嫉妬を覚えてしまうことがあるというのだ。その気持ちを涙ながらにこう明かした。 「自分が受けた経験を反面教師にして育児しているのですが、精神的に不安定だと『なぜこの子たちはこんなに幸せそうなんだ』と腹が立ってしまうことがあるんです。子供にこんな感情を覚えることは、絶対に間違っているのでつらいです。保健師さんに相談したり、主人に協力してもらって一人で気持ちを整理して、対処するようにしています」 毒親に育てられた人間としてこれからの社会に望むのは、個々の家庭環境について、第三者の客観的な意見が聞ける場所や機会を増やすことだという。 「毒親自身は、毒親という言葉から『俺たちはやってない』と目をそらします。子供の虐待が増えているのは、毒親に育てられた人が子供に同じことをしてしまうところもあるのではないでしょうか。私の場合はカウンセリングでしたが、毒親に育てられた人がそのことに気付けるようなきっかけを増やしてほしいですね。行政や医療機関に期待します」
「うちの子じゃない。お前の母親のところに行くか」
九州地方在住の20代女性、かっちさん(投稿者名)は10代半ばから数年間、父の再婚相手である継母から「行儀や礼儀の指導」と称して、虐待を受けた。 箸の持ち方から食事マナー、返事の仕方まで、生活の全てで命令に従うことを強制されたうえ、継母の意にそぐわなかったり、日々課される家事などを指定時間までにこなせなければ、罰として内側からは開かない部屋に閉じ込められた。 この部屋に入れられると、トイレと入浴、学校の時間以外は出られず、服従の意思を示さなければ食事すら満足に与えられない。2~3カ月間、部屋に閉じ込められたときもあったという。 「頑張るから許してください。努力します。直しますと何度も謝りました。(継母は)『あなたたちのことを思って言ってるの。将来恥をかかないように』というので、私たちのことを思ってくれている、約束を守らない私が悪いんだと思いました」 弟も2人いたが、こちらも虐待の被害者に。殴る蹴るの暴行を日常的に浴びせられたり、腹部に包丁を当てて「刺してやろうか」と脅す場面を目撃した。父親は継母の肩を持つばかりで話を聞いてくれず、きょうだいにとっては地獄のような日々が続いた。 かっちさんが中学生のとき、かっちさんと弟の1人は継母から「うちの子じゃない。お前の母親のところに行くか」と言われ、実の母親のところか児童養護施設かの選択を迫られる。実の母親のところには理由があって戻れなかったため、施設行きを余儀なくされた。 施設行きを逃れたもう一人の弟もその後、実の母親のところに追いやられたという。
児童養護施設での対話が毒親の気付きに
施設では約2年を過ごすことになるが、そこでの生活はかっちさんにとって悪いことばかりではなかったという。指導員らと対話する中で、親が異常だったと気付けたからだ。 「それまでは(親に)正しいことを教えてもらっている、頑張ろうという気持ちでしたが、施設にいるうちに、あれは本当の愛情じゃなかったと実感しました」 その後、父親の説得によって一度は家庭に戻るも、継母からの虐待は変わらなかった。“例の部屋”に閉じ込められた弟から助けを求められ、鍵を開けると弟が失禁していたこともあった。閉じ込めた継母はその姿を見て、「きたなっ。自分で拭かせろ」と2人を罵った。 生命の危険を感じたかっちさんと弟は、児童養護施設に助けを求めて、再び入所。両親の元には帰らず、自立すること目指した。かっちさんも高校卒業後、社員寮がある企業に就職した。 それからは、自己破産した両親から助けを求められて一時同居したが、金銭の無心を求められることに嫌気が差してすぐに別居。自身が結婚したこともあり、現在は両親との接点はほぼない。2人の子宝にも恵まれ、幸せな家庭を築けているという。 その一方で、かっちさんは2人の弟を虐待から守れなかったことを今も悔いている。 「弟たちを守れなかった気持ちはずっと残っています。私たちきょうだいは勝手に引き離されました。(実の母親の家庭に行った)もう一人の弟が一度、実家に来たこともあったのですが、継母に命令されて、インターホン越しに『顔も見たくない、帰って』と言わされました。自分の子供には同じような思いを、絶対にさせたくありません」 「親の意見が正しいと洗脳された子供は、親が間違っていることに気付けず、気付いたとしても誰にも伝えられません。児童相談所や学校の先生、警察なども、親の『私たちが正しいことをしている』という演技に騙されてしまうんです。今でも被害を言えない子供たちがいるはずです。難しい問題だと思いますが、本当のことを誰かが気付いてほしいと願います」 今回被害体験を打ち明けてくれた、いぷ子さんとかっちさんはどちらも「今は幸せ」という。それでも心には、いまだ癒えない傷が残っていると感じられた。 2人は大勢いる被害者の氷山の一角だと思われること、そして大人になっても影を落とすこうした状況から脱却するためにも、子供自身が気づく機会や周囲が気づいてあげられる環境づくりが必要だろう。
引用先:https://news.yahoo.co.jp/articles/4d700d961c19aeaf31f9145709383b9f09827401