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30代引きこもり男性が父親を刺殺 おとなしかった息子はなぜ突然豹変したか
2015.09.09
親と子が、なかなか上手くコミュニケーションを取れないために思い悩む家族は少なくない。しかし、中には、ちょっとしたきっかけから、殺傷沙汰を引き起してしまうこともある。
あまり報道されていないが、先日も、約10年にわたって引きこもっていた30歳代の男性が、父親を刺殺した事件の判決が、神戸地裁であった。
男性は、仕事をしないで引きこもっていたことを父親から怒鳴られ、カッとなって、とっさに果物ナイフを手にした。ところが、馬鹿にされたように嘲笑されたため、父親の腹を刺して死なせたとして、殺人罪で懲役12年の判決を受けたのである。
ふだんは気が小さくて、家庭内暴力もとくになかったという男性。いったい、この親子の間に何があったのか。
今回も引きこもり経験者で、自助グループ「NPO法人グローバル・シップスこうべ」(姫路市)の代表を務める森下徹さんに、関西通信員として裁判を傍聴してもらい、レポートしてもらった。
父親を刺殺した38歳男性に
「懲役12年」の判決
☆ ☆
顔色が白く、髪はぼさっとしている。ジャンバーにジーンズ姿で入廷してきた中年男性は、あのような事件を引き起こしたとは想像できないほど、小柄で大人しそうな感じに見える。
10月19日15時過ぎ、神戸地裁211号法廷の被告人席に立ったのは、森川正被告(38歳)。 兵庫県宝塚市の自宅で約10年間にわたり引きこもった末に、父親の森川芳雄さん(65歳)を刺殺したとして殺人罪で起訴され、奥田哲也裁判長から「懲役12年」の実刑判決を言い渡された。
判決の瞬間、身じろぎもせずに聞いていた正被告。裁判長から「何か言いたいことは?」と問いかけられると、蚊の鳴くような聞き取れない声で答えていた。
正被告はなぜ、父親刺殺という悲劇に至るまで、追いつめられてしまったのだろうか。
私は、この事件を取材している記者に、それまでの経緯を聞いてみた。
怒鳴られ、なじられ、
手にしたナイフを父親の腹に刺し…
事件が起きたのは、2012年3月5日の朝のこと。森川親子は、兵庫県宝塚市の自宅から、別々に出かけている。
正被告は、近くのコンビニでマンガを買うと、自宅2階の自分の部屋に戻った。
一方、芳雄さんは、帰宅したとき、玄関のドアにカギがかかっていたことを知り、激怒。しかし、その後の警察の調べで、ドアに施錠されていたのは、芳雄さんの勘違いだったことが判明している。
芳雄さんは、家の中に入ろうとして、正被告を外から呼んだり、インターホンを鳴らしたりしたものの、応答がなかった。
そして午前10時40分頃、芳雄さんは、家の中に入ると1階から、2階の自分の部屋にいる正被告に怒鳴った。
正被告は、1階から聞こえる芳雄さんの怒鳴り声に怖くなって、ナイフを見せたら芳雄さんが冷静になって話を聞いてくれると思い、部屋にあった12センチメートルの果物ナイフを手にして1階へ下りていった。
正被告は、手にしたナイフを芳雄さんにちらつかせた。ところが、芳雄さんから「使いもできないのに」となじられ、芳雄さんの腹を数回刺したという。遠のく意識の中で、芳雄さんは正被告に「救急車を呼んでくれ」と訴えた。
午前10時45分頃、正被告は、「自宅で父親を刺した」と、自ら119番通報。2階の自分の部屋に戻っていた。
宝塚市消防本部から連絡を受けた宝塚署員が駆けつけると、芳雄さんは家の中で、脇腹などから血を流して倒れていた。正被告は、殺人未遂容疑で現行犯逮捕された。
芳雄さんは、腹数ヵ所を刺されて重傷で、意識があったものの、搬送された兵庫医大病院で、約4時間後に死亡したという。
母の死、専門学校でのリンチから孤立
優秀な兄と比較される日々
一家が、いまの住宅地に引っ越してきたのは、正被告がまだ小学生だった30年ほど前のこと。コンピューター関連の企業に勤める父親の芳雄さんと母親、2歳違いの兄の4人家族だった。
転機が訪れたのは、正被告が中学生のとき。家庭で中心的存在だった母親が病気で亡くなると、家庭から会話が消失。一家は家族とは名ばかりの関係になり、芳雄さんも次第に孤立を深めていった。
正被告の兄は、大学進学、就職、結婚と、絵に描いたような人生を送っていた。
一方、正被告は、中学を卒業し、コンピューター関連の専門学校に進学したものの、学校でリンチを受けたのを機に中退。次第に人付き合いが苦手になり、警備員などのアルバイトに就いても長続きしなかった。
正被告はこの10年ほど、まったく仕事をせず、2階の自分の部屋にこもり、テレビを見たり、父からの月7万円の小遣いで買ったマンガを読んだり、弁当などを1人で食べたりしていた。家庭内暴力は、とくになかったという。
芳雄さんは、コンピューター会社を数年前に退職。以来、昼間は、停めた車の中で食事をしたり、酒を飲んだりしていた。
正被告は、芳雄さんから、「寄生虫」「うじ虫」「誰のおかげで生活できるんだ?」などと怒鳴られ、いつも優秀な兄と比較される日々だったという。
家族が、引きこもりの支援機関などに相談していたような形跡はない。近所の人も、家庭内の異変に気づいてはいたものの、結果的に支援の手が差し伸べられることはなかった。
人格を否定した父に息子が抱いた強い殺意
裁判長が語った判決理由
正被告は、10月16日から4日間にわたって行われた裁判員裁判の末、検察から懲役16年の求刑を受けた。
公判の中で、奥田裁判長から「なぜナイフを持って下りたのか?」と聞かれた正被告は、こう陳述したという。
「ナイフを使うつもりはなかった。最初は体の後ろに隠していたが、話しても父親の態度が変わらず、ナイフを見せれば、冷静になってくれるかと思ったのに、父親から馬鹿にされたので刺した」
奥田裁判長は、こう判決理由を述べる。
「正被告は、同居する芳雄さんからなじられ、芳雄さんに不満を募らせていた。1階から怒鳴られてかっとなり、部屋にあった果物ナイフを手に1階へ下りた。芳雄さんから“おれにそんな物を向けるのか”と半笑いで怒鳴られ、芳雄さんの腹部や背後をナイフで刺し、失血死させたのは、重大な犯罪である。正被告が芳雄さんの腹部を1回刺したのち、にらみつけられ罵声を浴びせられ、さらに背後を刺した行為には、強い殺意を感じる。
芳雄さんには、正被告から刺されるような落ち度はなく、仕事に就かない正被告の行く末を心配していた。しかし、芳雄さんの言動は、正被告を馬鹿にしたものだった。正被告を怒鳴りつけ、人格を傷つけていた。そんな森川親子はお互いがうまく接することができず、親子の意思疎通ができなかった。また、芳雄さんは正被告に生活費を渡し、甘やかしていた。さらに、被告が公判の中で自らの犯行を認めたことは評価する」
本当はわかりあいたかったのに
すれちがってしまった親子の悲哀
私自身、20年近い引きこもり経験があって、いまは引きこもり当事者として兵庫県で活動しています。私は、同じ県内で起こったこの事件について知りませんでしたが、事件を追ってきた記者から公判中の17日に取材の申し出があって、裁判のことを知り、神戸地裁へ傍聴に行ってきました。関わった時間は短く、情報は限られ、わからないことがほとんどですが、事件に対して私なりに感じたことがいくつかあります。
被告は、おそらく唯一の理解者だった母親を中学生のときに亡くし、一家が男所帯となった。家事が滞る中で、兄は順調に社会へと出ていく。被告は、学校も仕事もうまくいかずに、父親から怒鳴られる日々。父親の罵声に脅える被告に流れる年月は、どのようなものだったのか、私には想像できます。
自分の部屋だけが、彼にとって残された唯一の場所。ところが、その部屋の中に、被告に寄り添い、あるいは尊重して、理解しようとしてくれる存在はなく、ただテレビとマンガで無為に時間をつぶし、ただ生きるだけのために食べる日々だったのではないでしょうか。
私は、この事件を通して、父親に認められたい子どもと、子を心配する父親、本当はわかりあいたいのに、実際にはすれちがっていく親子の悲哀を感じました。被告が、中学卒業後にコンピューターの専門学校に通ったのは、将来はコンピューターに関する職に就き、父親に認められたかったからではないでしょうか。
父親は、子どもとの関係を避けるかのように、昼間は車中で過ごし、子どもの行く末を案じて働いてほしいために、怒鳴りつける。事件当日、怒鳴ったのは、玄関のドアに鍵がかかっていたと思いこみ自宅に入れなかったこともあるでしょうが、被告から親子関係を拒否されたように感じたことも大きかったのではないでしょうか。
この親子が周囲に助けを求めることができなかったのは、引きこもりは家族の問題として悪いことと考え、世間体を気にし、助けを求めることを甘えと考えてしまう意識にあると思います。周囲も、親子の異変にうすうす気づきながら、援助の手を差し伸べることができなかったのは、地域のコミュニティ崩壊によって、家族の異変に立ち入ることを遠慮してしまう希薄な関係が影響していると思います。
被告自身が招いた悲劇とはいえ、人付き合いが苦手な引きこもり者にとって、刑務所という監視された中での集団生活は、耐え難い生活であるように思います。
被告が刑を終え、出所するのは、50歳。12年後となる2024年の社会をどのようにデザインしていくのかが、私たちのこれからの課題になります。
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悲劇が繰り返されないために
「SOS」を言える社会づくりを
子が親を刺し殺す。何とも痛ましい事件ではあるが、父親から人格を傷つけられていた子どもの気持ちも、よく理解できる。
ではなぜ、彼は一線を踏み越えてしまったのか。実は、親子関係にコミュニケーションがまったくなく、スレスレのところで踏ん張りながら、必死に自分をコントロールしている家族はたくさんいる。
それらの関係が、殺傷事件にまで発展するという話は、めったに聞かない。しかし、ある捜査関係者は、シーソーゲームのようなやりとりの中で事件は突発的に起こると話していた。たまたまカッとなるようなシチュエーションがあって、凶器になるものが目にとまったりすると、予期せぬ加害者と被害者の関係になるという意味らしい。
詳しい事情はわからないが、森下さんのレポートを読む限り、被告は家族以外の社会とつながりがなかったようだ。せめて誰か1人でも、被告に寄り添える人がいたなら、今回の事件も起きなかったかもしれない。
この厳しい経済状況の中では、皆、他人を受け止める余裕がなく、自分が生きていくことで精一杯というのが実情だろう。しかし、森下さんのいうように、それでも家族の誰かが「助けて」とSOSをいえる空気が社会にあって、ここまで追いつめられないような安心できる逃げ道をつくらなければ、また悲劇は繰り返されることになる。
記事URL
http://diamond.jp/articles/-/26830
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