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孤独な40歳が5人を殺害するまでに一体何があったのか~淡路島5人刺殺事件の背景を読む~
2015.03.13
これから私たちが向きあおうとしている地域の課題を暗示するような事件が起きた。
兵庫県の淡路島にある洲本市の2軒の民家で起きた5人刺殺事件だ。
報道以上の背景は、まだよくわからない。ただ、容疑者の男性は「中学時代、いじめに遭って不登校になり、20年以上前から引きこもり状態だった」などと報じられている。
また、男性の年齢が40歳だったことから、「中高年の引きこもり」だとして、筆者はTBSの「いっぷく!」という朝の番組からコメントも求められた。
報道によれば、理由はよくわからないが、容疑者の男性は、被害者に一方的な恨みを膨らませていたこと、ネット上のSNSのフェイスブックやツイッターで被害者らを中傷する書き込みを続けていたことなどがわかる。
また、近所の住民がほとんど顔見知りという小さな地域だったこと、容疑者の男性がふだん外出している姿を見かけることが少なかったこと、被害者が容疑者男性の父親から「息子が外出しているのを見たら110番通報してほしい」などと頼まれていたことも報じられている。
いまの段階では、こうした断片的な情報からしか類推することができない。
ただ、この男性が報道にある通り、本当に「引きこもり状態」にあったとすれば、長年「引きこもり」界隈の取材を続けて来た視点から、感じたことが2つある。
地方ほど深刻化する
「ひきこもりの長期化・高年齢化」
1つは、とりわけ地方で進行する「引きこもりの長期化・高年齢化」問題の深刻さだ。
「引きこもり」といっても、あくまでも社会的に孤立している状態が共通しているのであって、便宜上の定義や診断名などで周囲が見ようとするのは、あまり意味がない。
そのような状況に至るまでの背景も、現在抱えている課題の内容や大きさも、本人の中では様々だ。
ただ、引きこもっていく人たちに共通する特性がある。周囲を気遣い過ぎるあまり、疲れてストレスを感じてしまう、そんな繊細な感受性の持ち主であるということだ。
引きこもるきっかけも、これ以上傷つきたくないし、他人を傷つけたくない。自分を防御する手段として、社会的に撤退せざるを得なかった。そうしているうちに、次第に生きる意義や意欲を失い、あきらめの境地に至ってしまう。
真面目で細やかな神経を持ち、丁寧に向き合って頑張ろうとする人ほど、実は社会ではじかれ、傷つけられていくのではないかと感じている。
今回、報道されているように、学校でいじめに遭ったことがきっかけで、恐怖を感じて不登校になり、そのまま引きこもり状態が続いたり繰り返されたりして、長期化して大人になっていくケースも少なくない。
最近では、リストラや失業、非正規などの不安定な雇用環境、高齢化した親の介護のために仕事を中断し、復帰しようとしたら社会に戻れなくなったなどの事例が目立つ。
にもかかわらず、こうして社会から離脱せざるを得なくなった人たちは、理解のない周囲から「ダメなやつ」と見下され、せっかく意欲を出して相談に行っても、その入り口の部分で再び傷つけられてしまうことも多い。
とくに地方へ行けば行くほど、周囲の視線が刺さるようにきつく感じられ、ますます外に出づらくなる。そもそも、雇用や居場所となるような資源も少なく、当事者たちにしてみれば、外に出ろと言われても、どこにも行き場がないのが現実だ。
家族の多くは、引きこもる当事者が身内にいることを「家の恥」と考える意識傾向があって、その存在を誰にも知られないよう隠したがる。
本人も、そんな親の気持ちをどこかで気遣う一面もあって、自らも周囲に姿を見られないよう、存在を消していく。
こうして本人も家族も地域の中に埋もれていって、家族ごと引きこもっていくのである。
家族が地域の中で引きこもってしまうと、人脈がなくなり、情報も遮断されていく。
最近は、生活困窮化の流れの中で、生きていきたくても、どうすればこれから生活していけるのか、そのノウハウがわからないといった相談が筆者の元にも、全国から増えている印象がある。
誰かに相談を求めたくても、「助けて!」と言えない。誰にも相談できないまま、本人も家族も情報の選択肢がない中で、家庭の中で煮詰まっていく。
今回の舞台は、地域の小さなコミュニティの中で、「皆、顔見知りだった」と報じられている。もしかすると、その近隣のコミュニティの人たちは、家族のようなものだったのかもしれない。
今回のケースがこれに当てはまるのかどうか、もう少し様子を見る必要があるだろう。ただ、同じように誰にも相談できずに、何とか生活を維持させている家族は、水面下に数多く埋もれていることは、筆者の元に寄せられる日々の相談数からも、十分にうかがい知ることできる。
すでに「子どもが罪人にならないよう、命がけで愛情を注がなければならない」などと、まるで親の愛情不足に原因があったかのような識者の見方がメディアで紹介されているが、筆者はそうは思わない。
大事なのは、周囲の人たちや社会が連携して、引きこもらざるを得なかった本人の心の内を理解し、あるいは想像して、困っている家族に多様な情報を提供し、家族を支援し続けていくことではないのか。
引きこもった原因がわからない
そんな中高年が増えている
それからもう1つは、報道を見る限り、容疑者となった本人の視点が、まだ見えないことだ。
取材を受けた番組のインタビューでも「実態調査で、(自分の)引きこもった原因がわからないと答えている人が多いのはなぜですか?」という質問があった。
コメントが番組に使われることはなかったが、実はこの問いにこそ本質があると思う。
意図的に引きこもる生き方を選んだ人は別にして、意図を越えて引きこもらざるを得なくなった人にとって、その理由は必ずある。
生命や尊厳の危機から、自らを守るために、社会的に撤退せざるを得なくなるのだ。
今回の男性は、中学時代のいじめがきっかけで、不登校が始まったといわれている。
当時、本人の心の中で、いったい何が起きていたのか。そして、20年以上経つうちに、どのような変化が起こったのか。
人は、心の傷を負ったとき、そのトラウマとどのように向き合っていくかによって、後の人生にも影響を与えるという。
「トラウマを秘密にすると、周囲からの理解や正しい診断を得られなくなる。秘密にしておくこと自体が、様々な症状をもたらす」
数多くの事件被害者や被災者に接してきた、一橋大学院社会学研究科の教授で、精神科医の宮地尚子氏は、『トラウマ』(岩波書店)の中で、そう述べている。
多くのトラウマは、見えなくなり、語れなくなる。そして、時間とともに複雑化し、因果関係もわからなくなる。
こうして引きこもり期間が長期化すれば、何らかの症状を2次的に発症するリスクが高まり、そもそものきっかけもわからなくなっていく。
SNSなどの書き込みを見るだけでも、現在は、何らかの専門的支援が必要な人であったことは間違いない。
しかし、本人が生きていくための居場所は、どこにあったのか。生きていくための情報を、誰が教えてくれたのか。いったいなぜ、このような悲劇へと追いつめられるまで、周囲は本人や家族をサポートできなかったのか。
「〇〇症だから」とか「心の闇が…」とか、個人の問題ということだけで語られてしまっては、今後の教訓にはつながらないだろう。
地域のみんなでコミュニティをつくり、どうやって共生して行けばいいのかを考えていくとき、こうした当事者の視点で本人や家族の心の内を解明していくことなしには、これからの課題は見えてこない。
記事詳細 ダイヤモンドオンライン
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