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人に会うのが怖かった引きこもり経験者は こうして人前で堂々と話せるようになった

2015.12.03

11月7日に都内の日本財団で開かれた「全国ひきこもり当事者交流会」(前回の連載で紹介)では、約180人の参加者を前に、12人の当事者講師がマイクを握った。

 初めてイベントの場に参加したとき、会場になかなか入れず、筆者の隣の席で震えていたAさん(33歳)と、人に会うことや電話が怖かったというBさん(34歳)も、その講師の中にいた。

 そんな彼らが、150人以上の前で、どうして堂々と話せるようになったのか。

「15年の自分の思いを聞いてほしい」
誰とも話せなかった男性が“講師”に

 茨城県に住むAさんは、いまでも新しい人に会うとか新しい所へ行くのは緊張する。学生の頃から、人としゃべりたいとずっと思っていた。でも、そういう機会に恵まれなかったことが大きい。

 Aさんは高校時代、友人がいなくて、2年ほど不登校に。ギリギリの単位で高校卒業後、1年ほど誰ともしゃべらず、大学には入学したものの、就職できなくて家にいた。

 こうして学生時代から話す相手がいなかった。大学時代に唯一いた友人も、就職活動の失敗を機に疎遠になった。

 いま、娯楽施設でアルバイトしているものの、考え方が合わない。自分はもっといろんなことを聞きたいし、しゃべりたいのに、同世代の相手はパチンコとスロットと家庭の話しかしない。パチンコ屋へ行くのに自転車で坂道上がるのが大変だったとか、自分の子どもの話ばかりされても、眠くてしんどくなる。いわゆる“社会のレール”に乗っかって生きている人たちなのかなと思う。いろんなことがしゃべれる職場に行きたいのに、こういう立場だと機会には恵まれない。そんな相手の話を聞かされるばかりで、自分の話は聞いてもらえず、疎外感があった。

 いまだに誰かと電話で話すときも緊張しているという。

引きこもり状態に関心のある多様な人たちが集まるイベント「ひきこもりフューチャーセッション[庵IORI]」(以下庵)に、庵に初めて参加したのは、2014年2月のこと。当連載の記事を見たのがきっかけだ。

 庵のことは、開催日の1ヵ月くらい前から知っていた。しかし、その日が来ても行く気にならなくて、あと1本列車を乗り遅れたら行けない状況の中で、その列車に乗り遅れたら、行くのをやめようと思っていた。でも、列車に乗れた。庵の会場の入り口でもなかなか中に入れず、誰かしらが入っていくのをコソコソ着いて行く感じだった。

 会場に入っても誰ともしゃべれなかった。自分には無理だなと思って帰ろうとしたら、庵のファシリテーターが話しかけてくれた。「家族のテーブルに入ってみたらどうですか?」と言われた。長く家族以外とは話をしていなかったので、堰を切ったように自分の話ができた。そのとき、何をしゃべったのか、よく覚えていない。でも、参加者たちは、真剣に聞いてくれたのが大きかったという。

 たまたま筆者の隣に座ったAさんに話しかけたとき、Aさんが震えていたのを覚えている。

 そんな庵も2ヵ月に1度の開催のため、その間何をしようかなと思っていたら、ある参加者から声をかけられて、その参加者が活動を始めた「弱さでつながる」という小さなコミュニティに出かけた。

Aさんは当時、自分の住む地域の情報もなく、行き場所がなかったので、1ヵ月に何度も東京に通った。2ヵ月の時間がすごく長く感じられた。

 その後、庵に1度だけ行かなかったことがあった。

「こういう機会って、逃してしまうと悲しい。行けるんなら行こうと思ったんです」

 庵で出会った当事者から、自分の地域にも家族会があることを知った。「〇〇さん(当事者)の知り合いです」という感じで行けば入りやすいかなと思ったが、やはり入り口でまごまごして入れなかった。何回か入れないまま通ううちに、あるとき、年配の母親から「何してんの?」と言われて連れて行かれ、ようやく入れた。どうせ今日も入れずに帰るんだろうなと思っていたので、入るきっかけをもらえたのはありがたかった。

 Aさんは今年夏、KHJ家族会の支部のある地域で開催してきた「ひきこもり大学全国キャラバン」の講師を地元で務めた。

11月7日、都内の日本財団で開かれた「全国ひきこもり当事者交流会」(前回の連載で紹介)では、そんなAさんが百数十人の参加者を前に堂々と講師として話し、最後の全体共有の時間でも自ら手を挙げてマイクを握った。

「自分的には変わった感じがしない。本来の自分に戻ったという感じですね」

 やっと話す相手ができて、昔の自分に戻ることができたのだという。

「くすぶっていた時間が15年くらいあるので、そういったことを誰かに言いたいという思いがあるのです」

「高年齢の引きこもりは自分だけじゃない」
“一緒にやっていける空気”が決め手に

 同じ茨城県に住むBさん(34歳)が庵のことを知ったのは、去年の7月。ネットで「引きこもり」「稼ぎ方」などを検索していて引っかかった。

<履歴書に空白があっても仕事ができる>

 そんな記事が目に飛び込んできて、自分のことだと思った。

小学校の頃から不登校。大学には入学したものの、卒業後、面接が怖くて就職活動ができなかった。

 以来、外に出る用事がなくなり、近所の目も気になって、ずっと引きこもり状態だった。

「こんなに高年齢の引きこもりの人たちもいるんだ。自分だけではないのか…」

 庵のディレクターの川初真吾さんに話を聞かなければいけないと思った。

 その外見も、これまで見てきた福祉や精神医療関係の支援者とは違い、「外の世界の人っぽいスタイル」に見える。いままでとは違って新しい空気を感じた。

「元々、人と比較する家庭環境ではなかったし、学校にも行く必要を感じていませんでした。最初の庵で自分の主張を笑われずに真剣に受け止めてくれたおかげで、あまり恥ずかしさを感じることもなかったのかもしれません」

 それでも、庵に初めて参加したのは、翌年の2月。5ヵ月間、行こうかどうかずっと悩んでいた。

Bさんの住む自宅から、都内の庵の会場まで、交通費だけで往復5000円かかる。行こうと決めて参加する前、庵に問い合わせた。

「“出入り自由”“ドタ参・ドタキャンOK”ながら定員100人と書いてあったので、もしかして入れなかったら、交通費と時間が無駄になってしまう。ここに入れなったら、つながりがないまま戻ることになるのではないかという恐怖があったんです」

 初めての受付では、ネームプレートにニックネームを書く機会も説明もなかったので、少しどぎまぎした。会場に入ってもどうしていいかわからずにいたところ、ファシリテーターらしき人に声をかけてもらえたので、席に着くことができた。

 最初は、自分のことを他の当事者たちと話すことが怖かった。内輪みたいに話している人たちもいて入りにくかったし、自分を明かすのが怖かった。しかし、隣に座った当事者の参加者が「初めてですか?」と話しかけてくれて世間話ができた。それまでは、前向きで明るい感じがして、自分がここで発言していいのだろうかと思っていた。

 Bさんが選んだのは、「あなたの町に居場所をつくろう」というテーマのテーブルだった。交通費をかけて、当事者たちに会いに都内まで行くのはきついものがある。自分の街につくってしまえば、同じような状況の人たちと会えるのではないか。庵とのつながりも、運営側に入ればつながることができる。必死で居場所づくりのテーブルに行った。

 ここで食いついていかないと、つながりができない。元の状況に戻ってしまう。「この人たちと一緒なら面白いな。今日の関係を無にしてはいけない」と思い、会の最後には、「自分の地域に居場所を立ち上げる」ことを決めた。

「話しかけてくれたことが大きいし、“3人くらのグループを作って居場所をやりたい人、手を挙げて!”と呼びかけられて、気づいたら手を挙げていた感じです。ここで手を挙げておかなかったら、つながりはつくれないと思ったんです」

 その後、庵には毎回参加。半年後、Bさんも、地元で開かれた「ひきこもり大学全国キャラバン」で講師を務めた。

 そして、前出の全国交流会でも、マイクを持って話をした。

「元々、人と比較する家庭環境ではなかったし、学校にも行く必要を感じていませんでした。最初の庵で自分の主張を笑われずに真剣に受け止めてくれたおけがで、あまり恥ずかしさを感じることもなかったのかもしれません」

 Bさんは、大学時代、学園祭で実行委員をしたことがあった。当日の交流会でも、「差別をしないような面白い人たちと楽しいノリでできたら…」という昔の楽しかった頃の空気を思い出したという。

 勇気を出して最初の一歩を踏み出した時に、多様な人たちのそんなコミュニティとつないでくれる理解ある媒介者や、それぞれが本来持っている潜在能力を引き出してくれる仲間たちの存在が、きっと自らの意思で人を変える源泉にもなり得るのだと思う。

記事詳細 ダイヤモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/-/82622

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