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引きこもりだった僕が親の会社を継いだ理由。父と真逆の経営方針

2019.01.10

跡取りとして親の会社の経営権を譲り受ける“世襲社長”。会社経営における世襲の是非については、さまざまな意見があります。
 生まれたときから社会的な地位と名声、楽な人生が用意されているように思われがちですが、当の世襲社長はどのような思いで経営に臨んでいるのでしょうか。
 お父さんが設立したデザイン会社を継いだという林田勝さん(仮名・31歳)にお話を伺いました。

「父がプロダクトデザイナーで、あるとき手がけた製品がグッドデザイン賞を受賞したり、商品としてもヒットしました。当初は、ほぼ個人経営のデザイン事務所でしたが、今では20名以上の従業員を抱え、自社工場を構えています」
 お父さんが創業したデザイン会社を1年前に継いだ林田さん。ヒット商品を出してからというもの会社は急激に大きくなり、今では製品の開発、製造、販売まで担えるほどに大きくなりました。
学校に馴染めず登校拒否を続ける。引きこもりだった青春時代
 会社経営も順調で幼少期から不自由ない暮らしでしたが、中学生の頃に林田さんは、いわゆる、引きこもりを経験することになります。
「特にいじめられたとかではないんですけどね。中学に上がった頃からだんだん自分の立ち位置がわからなくなって、『自分はどのような役割、キャラクターで周囲とどう接していけばよいのか』とかを考えたり、『他人に嫌われたら終わり』という意識が常にありました」
 中2の頃から登校拒否を続けてドロップアウト。高校には進学せず引きこもり生活を送ることになります。家にいるときはインターネットの世界に逃避し、外出するにしてもゲームセンターで遊ぶくらいだったそうです。
 そんな自堕落な日々の中、あるとき大学に入ることを思い立ち、大検(現在の高等学校卒業程度認定試験)を取得。その後、大学受験を経て実家から美術大学に通うことになります。
「ライフプランが定まらないなか、とりあえず大学には行ったほうがいいと思いました。でも、勉強はできない。美大なら実技試験で何とか入れるかなって思いました。結果として父と同じ道に進んでいますけど、当時はそれくらい漠然としてました」
大検を取得して美大進学。父親と同じデザインの道へ

 引きこもり時代と打って変わり、林田さんの大学生活は思いのほか明るいものだったそうです。
「デザイナーの家で育ったということもあって小中学生の頃からMacintosh(マッキントッシュ)に触っていたので、大学に入った時点でデザインの現場で使われているようなAdobeのソフトウェアを使いこなせてました。
 あと、引きこもりの頃にある人から勧められてプログラミングの基礎を勉強していた時期がありました。周りに比べてデジタルを駆使したデザインスキルは突出してました。『教えてほしい』って友達から頼まれることも多く、それがきっかけで自然と周りに馴染むことができました」
 大学時代はたくさんの友人に恵まれた林田さん。就職活動をスタートさせる頃には、どのような将来像を思い描いていたのでしょうか。
「当時はあまり先のことを考えられなくて、まともに就活もしてません。ちょうどプラモデルっぽい感じの立体作品を作ってたこともあって、卒業後も創作活動を続けるつもりでした。でも、まともに働きもせず実家暮らしであることに居づらさも感じていて……結局、父の仕事を手伝うようになりました」
 大学を卒業した年の12月からお父さんの会社を手伝うことになりました。当時は将来会社を継ぐことは念頭になく「手伝えるなら手伝うくらいの感覚」だったと振り返ります。

「仕事とは?」「社会とは?」父の背中を見て学ぶ
 お父さんの会社で社会人デビューを果たした林田さんですが、家庭で見るときとは少し違った仕事人としての父の姿を知ることになります。
「父は義理人情に厚く頑固、昔気質の人間。約束や時間の厳守、できない約束をしない、信用信頼が重要だということなど、昔から言われてきたことですけど、一緒に仕事をすることで、より強く実感したところです。また、父は自分の仕事にも厳しい人で、期日以内に納品できたとしても『本当にこれでよかったのか』って、自問自答して思い悩むような場面も何度か見てきました」
 仕事を手伝い始めた当初、事務仕事がメインでしたが、徐々に自社製品の開発業務、経営戦略の立案と実行、財務管理など経営の中核を担うことになります。やがて社長となって、初めて直面した大変さもあったとか。
「自分で決めたことで会社のすべてが動くということです。自分の決裁で会社を動かしていくという感覚に早く慣れたいとは思いますよね。『決める』とは責任を持つということなので、成功と失敗、両方を想定して行動することにしています。だんだん失敗したときの想定がリアルになってきて、物事を素直に捉えづらくなるのが悩ましいところです」
 お父さんの会社を除けば、実質、社会人経験ゼロのまま経営者となり、従業員を取りまとめる立場となった林田さん。仕事上のコミュニケーションに関して、どのようなことを心がけているのでしょうか。

父親とは真反対な姿勢で社会と向き合う

「父はデザインも経営も自分の考えひとつで突き進んでいく人でした。怒鳴り散らすのは当たり前。従業員の不安不満、ストレスはもっぱら飲みの席で解消するという。でも正直言ってそういうやり方が僕は好きじゃない。
 自他共に厳しい父は、ワンマンな経営方針をとってきました。けれど僕は自分に甘いと思っているし、だからこそ他人に厳しくする筋合いはないと思うんですよね。従業員には、些細なことでも相談してほしい。逆に自分からも相談したいと伝えています。周りと歩調を合わせていくのが僕の経営の仕方です」
 会社を継ぐということは、親の責任も引き継ぐことになり、先代と比べられることが多いそうです。
「社内に関していえば、僕が社長になることに反発はほぼありませんでした。でも取引先だとか対外的なところだと、世襲だし、若い。見た目が童顔というともあっていきなりタメ口を聞かれたり、正直舐められてると思うこともあります。
 ただ、そこに関しては、仕事付き合いを通して『意外としっかりしてるな』って思われたり、プラスに働く部分でもあります。世襲、若い、童顔みたいな属性はおおいに利用したいところです」
 傍からみれば「世襲社長」という声が聞こえてきそうな林田さんの境遇ですが、柔軟な経営方針は父親を反面教師としているようです。

引きこもり経験者が感じとる、若者の“生きづらさ”

現在は対人関係の苦手意識もだいぶ克服できたという林田さん。今の若者を取り巻く状況をどのように見ているのでしょうか。
「インターネットが普及して、SNSとかが個人の多様性や社会的な立場、考えてることが可視化したことで相互に監視し合う緊張感がありますよね。僕の引きこもり時代より遥かに窮屈なんじゃないかな。
 今の若い子たちの中にはLINEの既読スルーを気にして思い悩むみたいですけど、それを聞くと自分が10代の頃にLINEがなくて本当によかったなって思います(笑)」
 かつて引きこもりと呼ばれる人たちにとって、ネットワーク上のコミュニティは避難所でしたが、今では多くの人が参入することで、わずらわしい居づらい場所に見えるそうです。
 林田さん自身、引きこもりの過去を「逃げ」や「甘え」だったと振り返りますが、自分らしい社会との関わり方を知り、それを経営に生かしている点では、むしろ引きこもり経験も必然だったのかも知れません。

引用先:https://bizspa.jp/post-108940/

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