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引きこもり当事者の親こそ、徹底的に「親バカ」になるべき理由
2019.06.14
先月末に川崎で起きた殺傷事件。今月初めに起きた練馬区の殺人事件。2つの事件で引きこもりの当事者を「犯罪者予備軍」と見る動きがある。本当にそうなのだろうか?引きこもりと引きこもりにつながるとされる不登校の子の親たちへ、3人の不登校っ子のサポートに追われる立場からエールを送る。(取材・文/フリーライター 麓 加誉子)
● 川崎と練馬 2つの事件で震えた人たち
5月28日、51歳の男が起こした川崎の殺傷事件。そして6月1日の練馬での元事務次官の父親が44歳の長男を刺殺した事件。事件を知り、今現在、引きこもりの子を持つ親、不登校児を持つ親の中には、わが家の行く末か?と震え上がった人も多いのではないだろうか。
実はわが家も例外ではない。わが家は高校年代の長男、中学生の次男と長女、合わせて3人がいる。いずれも不登校。長男が病気で倒れて登校できなくなった時から数えて、不登校生活は5年目に入る。長男を高校年代の子、と表現したのは高校には進学しなかったから。下の2人も学校にはまったく顔を出さない。
全国に100万人を超えるとされる「引きこもり」たち。同じく14万人と言われる不登校の子たち。当事者も親も、2つの事件でドキッとした人が多いかもしれない。
まず安心してほしい。
引きこもりの人が起こす事件はごくわずかだ。1999年以降に起きた殺人事件のうち、引きこもり経験者が関与しているものは全体の0.002%。犯罪者予備軍と呼べるものではない(6月6日東京新聞調べ)。
例えば、精神科医で、長く引きこもりの人への治療や支援に携わってきた齋藤環さんも、ハフィントンポストに掲載された記事(『「ひきこもりは非常に犯罪率が低い集団としか言いようがない」精神科医・斎藤環氏が過剰な報道に苦言』)の中で、「相関関係がない」と語っている。
また、私が今回取材した、千葉県松戸市で不登校支援に長く携わり、数多くの親子に関わってきた「不登校問題を考える東葛の会『ひだまり』」の代表鹿又克之さんも、「25年間会をやってきて、事件にかかわったのは1人もいない」と話している。
● 何が彼らをそうさせたのか? 「1人で死ねばいい」は問題の先送り
私は事件が起こるたび、犯人をそこへ追い込んだ存在を思う。犯罪は許しがたい。犯罪を起こす要素はもちろん犯人にあっただろう。しかし、引き金を引かせたのは社会であるともいえる。あるいは引き金を引く瞬間に止められなかったのは社会だ、と思う。
暴力は傍(はた)から見ると強さを誇っているようにみえるが、実のところ、本人の苦しさに対するSOSや弱さの発露であることが多い。そう思って彼らの行動を見ると、そこに至る道筋が見えてくるように私は思うがどうだろうか。
暴力はSOSで弱さの発露――。そう考えたら、誰か彼らを助けられなかったのか?と考えてしまう。「1人で死ねばいい」という突き放した言動は、決して解決策にはならない上に、問題の先送りにしかならない。
「1人で死ねばいい」という言葉の前段階には、「自分で解決しろ」「家族の問題だ」という自己責任論や家族主義、社会の責任放棄がある。練馬の事件の父親や息子を追い込んだものがまさにそれだ。誰にも頼れない、自分たちだけでどうにかしなければと、彼らがあがいた年月の絶望的な長さを思うと胸が締め付けられる。
抱え込んで苦しさを膨らまさないために、何ができるか?考えてみる。
● 親は悩みを オープンにする勇気を
わが子が引きこもった時、不登校になった時、「自分の育て方が悪かった」と落ち込まなかっただろうか?さらに、「あなたの育て方が悪かったのでは?」と周囲に言われてどん底に落ちなかっただろうか?周囲でもよく聞く流れだ。
経験者として伝えたい。「だから何?」とまず思おう。
ただ血がつながっているだけで、「最高の親子」なんてコンビができるわけがない。どんな親子も相性の悪さを抱えているもので、うまくいかない時期はあるものだ。しかし、それでも親は責任を感じて抱え込み、クローズになりたくなる。「ダメな親」のレッテルを自分に貼ってしまいたくなるものだ。
「ダメな親」で何が悪い?
私はあなたが自分を「ダメだ」と思う勇気を讃えよう。自分を「ダメだ」と認めた上で、「ここがダメなんです」と言える人は素晴らしいと私は思う。
できないこと、わからないことは勇気をもってオープンにしよう。
オープンにならなければSOSを出せない。周囲は困りごとを知って助けることができない。勇気を出してオープンにすると、予想以上に助けてくれる人がいるのだと、私は子どもたちが不登校になって知った。
しかし、一足飛びに他人にオープンになるのは難しいかもしれない。小さなステップとして、まずは家庭内でオープンになろう。妻は夫に、夫は妻にできないことや分からないことを率直に話そう。子どもの親同士として向かい合い情報交換をしよう。
それができたら、次は親の会に参加してみるといいだろう。引きこもりの親の会や家族会は全国にある。不登校の親の会もたくさんある。ここはどうかな?という会に顔を出してみるといい。自分は話さないで周囲の話を聴いているだけでも自分の言動のヒントが得られる。
● 子どもは何度でも歩み出す力を持っている そのプロセスを知ろう
ところで、不登校の子の親はわが子がそのまま引きこもりに移行するのではないかという不安を抱えがちだ。これについても安心してほしい。こんな追跡調査がある。文部科学省が平成26年に行った「平成18年度不登校生徒に関する追跡調査」。平成18年に中学生で不登校だった子の20歳当時の状況を調査している。
不登校だった子どものうち、20歳当時に「非就学、非就業」は18.1%。意外と少ないと感じたのは私だけだろうか。多くの子どもたちはまた変化の中に踏み出して、進み始めるのだとわかる。
前出の鹿又さんは、「親の会に参加する一番のメリットは、リスタートのプロセスの事例を学べること」と話す。
「事例を知ることで、自分がやるといいことや、やらない方がいいことがわかる。当事者だった人の実際の体験の中身を聴くのは希望になる。大切なのが、すぐに解決すると思わないこと。1回や2回の参加や相談では解決しない。年単位での長い気づきの作業なので、途中で諦めないで」(鹿又さん)
苦しいことやつらいことは他人にサポートを求めていいのだ。親自身、まずは自分の苦しさやつらさをしっかり自覚して「自分は助けてもらっていいのだ。サポートを受けるべきだ」という認識を持とう。その上で、リスタートを望む気持ちを手離さないこと。
● 複数のサポートと 子どもをつなげよう
親だけでなく、子ども本人がさまざまなサポートにつながることはとても大切なこと。刺激という点でも、つらさを逃がすという点でも心許せる相手は多い方がいい。ところが、具体的にどんなサポートがあるのか?の情報は掴みづらい。どうしても親の情報収集力にかかってしまうので、ここは親が頑張りたいところ。
行政主体のサポートは、主に学校復帰や社会復帰、学習に関わることが多いように思う。学校復帰、社会復帰といわれると困ってしまうことが多いが、医療のサポートにつなげてくれることもあるので、面倒がらずにつながっておきたい。学習支援を行う「キズキ共育塾」のような民間の機関もある。
医療というと精神科や児童精神科、心療内科が中心となる。引きこもりや不登校は病気ではない。しかし、子ども自身につらさがあるなら、原因を知ることは大切なこと。聴覚過敏や触覚過敏、起立性調節障害や発達の凸凹などはありふれている。調べて対策が得られると、親子ともに楽になれる。
起立性調節障害は思春期に起きがちな自律神経のアンバランス。不登校の3~4割に関わる病気だとされている。実際わが家の不登校っ子3人のうち2人にこの診断が下りている。子どもが朝起きられないとか、だるさが続くという時は、一度検査を受けてみるといいと思う。
精神科領域の診療に対する不安はさまざまに見聞きする。安易に勧められたとか、これまた安易に処方箋を出されたという話には事欠かない。しかし、私自身は精神科を「安易にかかる」べき診療科だと考えている。生活全体を見て状態を判断してくれる心強い診療科だ。対策は早ければ早いほどいい。
受診の際に大切なチェックポイントは、何ヵ所かかかってみて居心地の良いクリニックを見つけること、治療方針が子ども自身にも親にも双方に納得感のあるものであること。「あれ?」と思ったら、気軽に次のクリニックを探そう。
意外と手が届きにくいのが民間のNPOなどが主催する居場所の情報。「子ども 居場所」「高校生 居場所」などと検索をかけると、地域に子ども自身がふらっと立ち寄れる場所を見つけることができる。家を出ることが困難な場合などは、認定NPO法人「D×P」が開設しているオンラインコミュニティなどもある。
苦労や努力に価値を置きがちな日本社会だが、私は「安心」こそ、修復や回復に欠かせない大切なものだと信じている。「ホッとする」ことに親も子も罪悪感は要らない。安心の先に次の一歩が隠れている。
● 「父親の力」を信じて 子どもの心にサポートを
私は母親だ。
そしてツイッターなどで見かける引きこもりや不登校問題の発信者の多くは母親だ。親の会に行けば母親ばかり見かける。「父親はどこ?悩まないの?どう思っているの?」とイライラしたものだ。2人の子どものはずなのに、なぜ母親ばかり?と。
私は子どもたちが順繰りに不登校になった時、子どもたちのサポートに追われて自分のケアを後回しにしてしまった。苦しいとかつらいとか自分に対して思うことすら後回しにして、ついに4年目にして夫に爆発した。
「どうして私を1人で戦わせるの?妻が孤独でいいの?」
夫に聞けば、なんてことはない。「あまりに大変そうなので邪魔しないようにしてきた」という。「どうすればよいのか悩んでいた」と。父親も悩まないわけではないのだ。
鹿又さんも言う。「表に出さないだけで父親の悩みは深い。でも、男性が弱さを見せられる社会になっていない」と。
その上で鹿又さんがこんな事例があると話してくれた。
「小4から不登校になった男の子。父親は『今行かなくちゃ!』と子どもを責めた。子どもはどんどん気力をなくしてしまい、中学に上がったところで父親が子どもの担任にポロっとつらさをこぼした。『子どもの状態と父親という役目の2つに押しつぶされそうです』と。
それは大変、私が話を聴きますと担任が言ってくれて、3年間話を聴き続けてくれた。父親は話すたびに楽になっていき、子どもの状態を理解するようになった。父親が学校に行け!という雰囲気を出さなくなると、子どもは元気になっていきアルバイトに出るようになった」
話すこと、「弱音」を吐くことの効能と父親が子どもに与える影響の大きさが、よく表れている事例だと思う。
父親は母親と比べて普段子どもと接する時間が少ないことが多い。しかし、だからといって無力ではない。子どもに影響力がないなんてこともない。接し方が分からなければ妻と話し合えばいい。時には子どもに直接尋ねるのもいいだろう。父親には自分の力を信じてと伝えたい。
忘れないでほしい。父親が孤独になれば、隣にいる母親も孤独になる。子どもにも孤独は伝わる。家族の孤独は伝染して深まるものだ。孤独は将来の孤立を作る。母親だけでなく父親も孤独と「弱さ」を開いてほしい。
親は誰もが子どもに一歩踏み出してほしいと願う。しかし、子どもの一歩には、先んじて親の一歩が必要だ。親は将来の孤立を作らない勇気を一歩目として踏み出してみよう。
引用先:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190614-00205564-diamond-soci
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