ニュース情報

池上正樹×斎藤環が語る、「たとえお節介でも、ひきこもりを指摘し続けるべき理由」

2016.07.01

前回まで、長年ひきこもり問題を追い続けてきた池上正樹氏と斎藤環氏に、「ひきこもり」問題から派生した新たな社会問題について指摘していただきました。そこには、日本社会がこれまで目をつむってきたからこそ、ツケがまわってきているという揺るがない事実がありました。 そこで対談最終回となる今回は、これらの課題をどう捉えるかを提案していただきます。

◆「ひきこもり」を啓蒙し続ける理由

池上 そもそも「ひきこもり」と呼ばれてきた人たちは長年、「沈黙の言語」という言葉があるくらい、社会に発信してこなかったし、むしろ地域に埋もれて周囲の人目を避けてきた、姿の見えない存在でした。いわば、社会に存在していなかったことにされてきた人たちともいえます。そうした“闇”の部分にも光を照らして、助けを求めている人がいるとすれば、きちんと課題を見えるようにしないといけないと思っています。

 ひきこもる女性の存在についても、きっとそうだったと思うんですよね。見えなかったものについて、きちんとデータをとるなり、調査をして検証するということを、この国はやってこなかった。該当者から「家事手伝いや主婦は除く」といったように除外してきてしまったがゆえに課題が見えてこなかった。やっぱり、きちんと闇ではなくて、見えるようにして検証していくということが必要なのではないでしょうか。

斎藤 一貫して、それは考えています。ひきこもりという言葉を言いすぎると、疾病喧伝ではないですが、そういうレッテルを増やしてしまうというか、当該の問題を増やしてしまうんじゃないかとよく言われます。けれどもひきこもりって、放っておくとすぐに見えなくなっちゃうんですよ。多くの人にとっては、身の回りにいないから実感のない問題だったりするわけで、指摘し続けないとその存在すら透明化してしまう。

 もちろん当事者や家族にとっても、隠しておきたい問題であるということもある。ひところのブームは去りましたが、これからも定期的にメディアで発信していかないと、関心が維持できないという側面があります。

 なので、こういう本『ひきこもる女性たち』が出たりとか、イベントが開かれたりとかそういうかたちで注意喚起が進むことは必要なことだしありがたいと思っています。特に女性の問題は、ひきこもり問題の影の部分だろうと思うので、女性が抱えている問題を考慮した支援の形態を考えるきっかけになってくれればなと。

池上 僕も一時、「ひきこもり」という言葉を使うことも、レッテル貼りに加担するのではないかと思い、悩んで自重していたこともありました。しかし、こうやって記事を発信していると、ひきこもる当事者側から「言ってもらえてよかった」とか「他にも自分と同じような人がいることがわかって勇気が出た」といった嬉しい反応に直に触れるようになりました。インターネットの時代になったからですね。むしろ、そうした多くの読者に励まされ、あるときは突き上げられるようにして、それぞれの方々の思いや気持ちを伝える役割を、気づいたら担っていたという感覚です。

斎藤 池上さんはこれまでの経験から、どういう枠組みの支援があればより多くの女性が参加しやすくなると思いますか。

池上 安心できる場ですかね。

斎藤 女性だけの場ですか。

池上 そういう場に行っても男性ばっかりだろうとか、男性の問題だろうとか念頭にあって行かなかった方たちの声を聞いていると、女性も行っていいんだという場だと結構行くのかなと。先ほども申し上げた、「ひきこもりフューチャーセッション庵IORI」で「母と娘」というテーマであれだけ人数が来る、そして継続してやってほしいという話を聞くと、意識的なそういう場づくりが必要かと思いました。

斎藤 そういうテーマ、母と娘をテーマにした自助グループもいいですよね。それを作って、ひきこもりか否かにかかわらず、母娘で生きづらい人はどうぞ、と。

池上 また女性の人は、男性に比べると感情が先に出ちゃうというか。涙がぽろぽろ出ちゃうとか、言葉にしようと思うとなかなか言語化できない人が多い印象なので、第三者が言語化する作業も必要かと思います。

斎藤 母娘問題が典型で、指摘されるまで気づきませんでしたという人がすごく多いんですね。親を批判して良いし、親の責任を問うていいんだ、とやっと気づく。こういう気付きが救済のきっかけになるので、啓蒙の力というのは大事だなと思わざるを得ません。ある程度カウンター的に強烈な言葉を使わないと、認識すらされない。

池上 こういう話を発信すると、「あ、これは私のことだ」って気づいて、勢いで「書いちゃいました」とアプローチしてくる人もいます。だから、当事者たちに届くような情報発信と、当事者の求めているコミュニティの場づくりって、結構大事だと思いますね。

斎藤 そうですね、結びつけば非常に力を持つと思います。

池上 あとは誰がやるか。安心できる人が中心にいないと、これ行政がやるとまた……。

斎藤 行政には何も期待できないですね。そうはいっても、和歌山県田辺市の目良さんとか、秋田県藤里町の菊地さんとか、どっちも行政の人ですけどセンスのある人が一人居るだけでも、行政のインフラを活用してかなりのことができるのは事実です。ただ、それがその人一代限りになることも多いので、どうやって継続するかということが大事だと思います。

池上 大阪府豊中市の勝部さんも、地域でいい取り組みをされています。

斎藤 どういった方でしょうか。

池上 社会福祉協議会の方です。豊中方式といって、街・地域を教育することで、ひきこもりという問題を顕在化させて、その居場所づくりを行っています。

斎藤 いいものはいろいろあるんですが、それが地域の文化になっちゃって、なかなか広まらないという問題もあります。使えるものは使って、共有していく、広く知れわたることが大事ですね。

◆必要とされるニーズの掘り起こし

池上 斎藤先生は、『ひきこもり文化論』でひきこもりを肯定する立場と治療する立場のジレンマがあると書かれていましたが。

斎藤 肯定、そうですね。病気と決めつけないとか、一義的に悪いと決めつけないとか、そうでありつつやっぱり苦しむ人はいるというのも事実なので。これはセクシュアル・マイノリティの問題と似たところが結構あります。つまり、それ自体は否定されてはいけない存在という意味ですね。とはいえ、やっぱりLGBTで苦しんでいる人もいるわけで、そういう人たちにもケアが必要です。社会的受容の経緯は、よく似ています。

 ゲイは、イギリスだと60年代までは犯罪で、1970年代までは病気として扱われていました。そして今は権利というか個性のひとつ、という認識に変わってきましたよね。ひきこもりもかつて穀潰しなどと否定的に言われていた時期を経て、次に病気という認識に変わった。まあ、今もまだ病気の時代かもしれませんけど。やっぱり一義的に価値判断することは避けたいなと思います。それ自体は問題ではないかもしれませんけど。そこから派生してくる問題に対しては支援が必要になりますから。

池上 関わりを求めている人もいますからね。

斎藤 実際います。支援で関わるなかで変わっていく人もいるわけです。関わる前は支援なんていらないという人も、いざ関わってみたら支援してほしいという人もいる。それをニーズの掘り起こしと言っています。いささかお節介かもしれませんが、本人がいらないと言ったからいらないのだと単純な視点だけではなく、そういう視点をある程度持っていないとどうにもならない。

池上 社会全体に言えることですね。

◆これからの「ひきこもり」問題

斎藤 ひきこもりは日本特有ではなくなってきています。マイケル・ジーレンジガーの本みたいに日本人の病理がもたらしたという人もいますけど。韓国にたくさん存在しているという現実がある。イタリアも最近増えてきている。スウェーデンも多いと聞きますが、それは注目されているのか多いのかはまだわかりません。フランスも、日本の名古屋大学と共同研究を続けています。もう、日本の「ひきこもり」ではなくなってきている状況だと思います。

 私は日本文化ということではなく、家族形態との関連性で見るのが一番いいと思っています。これは主にパラサイトの問題との関連ですね。成人してからも親と同居し続けるということが容認されやすい家族文化がある地域では、ひきこもりが増える傾向にあります。実際、日韓はそうです。同居率70%以上の国というのは日本と韓国、イタリア、スペインです。それぞれの国でひきこもりが問題化しているということは、同居率とかなり密接な関係がある。また、同居率が高いということは何を意味しているかというと、就労などの社会参加ができなかった若者がホームレス化しにくいってことです。家から追い出されませんから、ヤングホームレスがいない。

 日本の統計しか知りませんけど、日本では若いホームレスがすごく少ない。先進諸国の中で、例外的なほど少ないです。最近増えているという指摘はありますが、それでもまだ少ない。人口1億2000万で、若いホームレスが1万人いないというのは、ありえないくらい少ないんです。アメリカ、イギリスだったら、イギリス25万人、アメリカ100万人っていう説もあります。同居が容認されればホームレスが減るけれども、その代わり社会から排除された若者がひきこもるしかなくなってしまうという状況になる。これは完全に構造的な問題と考えていいと思います。構造から変えるとしたら、もう同居を辞めるしかない。同居をいつ辞めるかというタイムリミット設定して子育てするというのが当たり前になればひきこもりは減る。ただそれはホームレスが増えるかもしれないという、副作用と背中合わせです。いいことずくめとはなかなかいきません。最終解決のためには、若い世代が全員社会包摂されるような仕組みを作るしかないですが、それはどの国も成功したことがない難事業です。

斎藤 今、先進諸国が直面しているのは若者の包摂をどうするか。二つの形態の排除、ホームレスかひきこもりしかない状態をどう変えていくか。ですから、日本はむしろモデルケースたり得る。全世界で同居率が高まってきていて、各国で問題視している。たぶん日本に追随するかたちでいろんな国でひきこもりが増え始めます。例えば中国ではパラサイトを啃老族といって、うちの学生の研究テーマでしたが、日本よりその割合が多いことがわかっています。パラサイト=ひきこもりではないですが、これから中国でもひきこもりは増えてくると思う。

そんななかで、日本はひきこもりのロールモデルを提供できるように進歩していってほしいと思います。

池上 この前も、日本のひきこもり現象についてインタビューしたいと、ロイターテレビが取材に来ました。ところが、聞いてみると、やはり、部屋の中にいるひきこもり像という固定観念をプロデューサーは持たれていました。

斎藤 だいたい彼らの論調は予め決まっていて、まず不況で若い世代が社会に希望を持てなくなっていて、昔は鎖国していて今は「甘え文化」があって、みたいな話に落とし込もうとしているわけですよね。

池上 フランスから国営テレビ局の記者が取材に来たときにも、「横並び」というキーワードを使って説明したところ、言葉にすごく反応していました。「個性」が当たり前とされる欧米の先進国では、「横並び」という価値観は理解できないというか、該当する単語自体ないため、日本語がそのまま使われていました。

斎藤 世間体みたいな価値観が幅を利かせているところで増えるのは、ある意味仕方ない気もします。

池上 個性を大事にされない、尊重されないというところですよね。ひきこもりというのは生きる選択肢です。自殺ではなく生き残る選択肢をした人たちですよね。そういう人たちの意志を、「よく生きてくれたよね」と周りが理解してあげつつ、これからじゃあどう生きていこうかと一緒に考えられるような社会にできるかどうかが問われているのではないかなと。これからの国の在り方が問われているような気もします。

≪プロフィール≫

池上正樹(いけがみ・まさき)1962年生まれ。通信社勤務を経て、フリーのジャーナリストに。97年からひきこもり問題について取材を重ね、当事者のサポート活動も行っている。著書に『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『ドキュメントひきこもり』(宝島SUGOI文庫)、『痴漢「冤罪裁判」』(小学館文庫)、共著書に『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)などがある。

斎藤環(さいとう・たまき)1961年生まれ。筑波大学大学院教授。専門は思春期・青年期の精神病理・病跡学。家族相談をはじめ、ひきこもり問題の治療・支援ならびに啓蒙活動に尽力している。著書に『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(ちくま文庫)、『ひきこもりのライフプラン』(岩波書店)、『ひきこもり文化論』(ちくま学芸文庫)など。

記事URL
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160701-00002294-besttimes-soci

解決サポート

〒104-0061 東京都中央区銀座6-6-1 銀座風月堂ビル5F
TEL:03-6228-2767

様々な問題やトラブルに対応

「男女のお悩み」解決サポート

PAGE TOP