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親なら当然の心配が、かえってプレッシャーにも 引きこもり当事者と親たちが模索する適度な距離感

2012.10.18

当事者でなくとも難しい親子の関係の距離感

 親の気持ちは痛いほどわかっているけど、親の価値観を押しつけられると、子は生きづらさを感じてしまう。

 親子の関係は、どのように距離感をとればいいのだろうか。筆者には、2010年と今年、相次いで両親が亡くなったいまも、その答えがわからない。

 親と子の意識のずれは、本人が引きこもっているかどうかにかかわらず、根深いものがある。しかし、それぞれが「自分ごと」として振り返ることのできる、そんな気づきを得られる機会があれば、有意義だと思うし、とても貴重だ。

「自立≠孤立 当事者がしてほしいと思う支援とは?」――そんなテーマのもと、10月14日、東京都中央区の「協働ステーション中央」(十思スクエア2F)で開かれた、引きこもり家族会である「KHJ西東京萌の会」月例会の2回目のフューチャーセッションに、筆者は途中の第2部から参加させていただいた。

 この日の会には、会社員の男女3人がファシリテーターを務め、二十数人の親子が参加。広々とした雰囲気のある、かつての小学校の教室で、参加者が1つの大きな輪になった。

 また、話が苦手な人たちのために、〇×のプラカードと質問箱が用意されていたが、当事者のアイデアにより、当日、100円ショップで買ってきてくれたものだという。

 第2部では、主に女性ファシリテーターのちはりぃさん(通称名)が会を進行。第1部で親と子が別の教室に別れて、3人のファシリテーターのプライベートな話も交えながら雑談した中から、心に止まったというフレーズを次のようにホワイトボードに記して、紹介していった。

自分が亡くなったらどうなる? 生々しい「親のホンネ」

<☆親の気持ち…>

「子に自立してほしい」

「親のことが嫌であれば、家出するくらいでも構わない。ただ、出た後の生活は心配している」

「自分の生活があるから、本人に対して充分に何かをしてあげられていないことを申し訳なく思う」

「親がいなくなった後の生活をしていくうえで、支援してくれる人とつながってほしい」

「家から出そうとしていたことが逆効果だった(何も言わなくなったら、出るようになった)」

「父子の関係性を作れていなかった(いざというときに逃げていた)」

「子は親に、何て言ってほしいのだろう?」

「直接はなかなか話せないので、手紙でコミュニケーションをとった」

「どうしてよいのか、誰に相談してよいのかわからず、時間が経つにつれ、気持ちだけが焦っていく。すがる思いで、この場に来ている」

「ここ(萌の会)に来ると、“自分だけじゃないんだ”と思える。話もわかってもらえる」

こうして見ていくと、「言葉は違っても、共通する(親の)思いがある」と、ちはりぃさんは言う。

 中でも印象的なのは、このまま歳を取って、亡くなった後のことを心配している親が多い。

「(親がもらっている)年金がなくなったら、どうやって経済生活をしていくのか、聞きたい」

 ある母親が、そう口を開くと、若者から「生々しいな」とため息がもれた。

 すると、母親はこう返した。

「生々しいですよ。だって、現実だもん」

イメージできない、考えてはいる…さまざまに受け止める若者たち

 ここで、ちはりぃさんが「質問です」と、参加者の自称“子ども世代”に向かって、自分の将来、こんな風にしようかなというイメージがあるかどうか、〇か×のプラカードを上げてもらった。

 ×を上げた30歳代の男性は現在、就活中。「将来の具体的なイメージをいまは描けない」と明かす。

 ちはりぃさんは、「社会に一歩出始めているけど、将来はまだきちんとイメージができない。最初に話をしていただいて、ありがとう」と、お礼を言った。

 なるほど、ファシリテーターの、こういうちょっとした気遣いが大事なのかもしれないと勉強になる。

別の×を上げた男性は、「将来をイメージしても仕方ない。今日のことで精一杯。先のことを考えられないから、引きこもっている。いま、何を自分の中でしたいかを考えることに集中している。それが将来につながる」と話す。

「自分も似ている」というさらに別の×を上げた男性も、こう言う。

「サポステ(地域若者サポートステーション)に通い始めた。もう少ししたら動きたい。引きこもりのライフプラン、考えたほうがいいとは思っている。とりあえず目の前のことをこなしていく」

 ちはりぃさんは「将来のことを考えたほうがいいということは、親から期待されていることも含めて理解している。ただ、段階にもよるのかもしれない」と言う。

 一方、〇を上げた女性は、「正社員で体調を崩して辞めざるをえない状況だった。親は、安定した仕事に戻ってほしいんだろうなと思っている。ただ、フルタイムは現実に無理なので、体調と相談しながら生活できる程度の就労をしたいと思っている」と説明する。

 すかさず、ちはりぃさんが「自分の特徴も自分なりに理解して、その中でやっていくにはどんな方法があるのかを考えて、ずっと続くかどうかを試しながら、保障はないかもしれないけど、将来をしっかり考えている」と感心する。

 〇を上げた男性は、「不安には正体がない。いざとなれば、一生働かなくても、サバイバルできる。サバイバルドラマを提案する専門家も現れ始めたし、何とかなると思ってる」と、将来を楽観視する。

 すると、ある母親が、こんな話を披露した。

引きこもりの子どもに資産状況を告げるべきか?

 母親は、区画整理された住宅地に住んでいる。その地域には、高齢世帯が多く、引きこもる人たちも少なくない。

 その中の1軒で、父親と母親が相次いで亡くなり、家は売りに出された。いままでは、かろうじて母親の年金で、税金等が支払われていたが、残された息子は、賃貸アパートへの引っ越しを余儀なくされたのだという。

「それまでは、親が死んでも、息子は何とかやっていけるだろうと思っていました。でも、息子の将来を目の当たりにしたような感じがして、衝撃を受けたんです。高年齢化した親の世代から考えると、命があまりない。子どもは本当に、その後のことを捉えてもらっているのだろうか。皆さんの話を聞いていると、前向きに考えているけど、やっぱりどうなのかな。国の経済状況が災いしていることもわかっているけど、やはり子どもの将来を不安なく見つめておきたいのです」

 その話を聞いた父親が、こう悩ましげに続けた。

「最近、自分の資産関係を整理して、リミットはいつまでもつのか、自分の家や土地、預金の状況をすべて示されたら、当事者たちはどう思うのかを知りたい」

 これに対し、当事者男性がこう答えた。

「余裕があることを示すためだったら、プラスの効果はある。でも、現実を見せるためなら、逆効果だと思います」

 効果のある場合がある一方で、子どもを追い込むこともある。資産を見せるべきかどうかの問題は、実に悩ましい、永遠のテーマだ。

 ここで、ちはりぃさんは、「当事者たちが何を求めているのか。親は当事者になったつもりで、隣近所の3人ずつのグループに分れて話し合ってほしい」と提案した。また、聞きたいことがある人には、質問箱への投書を呼びかけた。

ある参加者はなぜ途中で帰ったか?若者側からの問題提起

 その後、再び、1つの輪になっての対話が再開された。

 興味深かったのは、若者側からの次のような問題提起だ。

若者 「今日、途中で帰ってしまった当事者がいる。なんで帰ってしまったか。想像できますか?」

母親 「そんなの確認したら、来なくなりますよ」

若者 「でも、それは自分で行動している。感情があるんです。聞き方が丁寧だったり、相手に威圧的でなかったりすれば、答えてくれるはずだと思うんですよ」

母親 「そこには少し技術がいりますよね」

若者 「それを勉強していくことが、親御さんには必要です。ここに来て、僕たちみたいな人とコミュニケーションできないと、閉じこもっている息子さんにアプローチできないじゃないですか。息子さんは、僕たちよりもっとつらい思いをしていて、難しい段階だと思うんです。親の経済の話のレベルではない。自分のことで精一杯なのだから、そういう心理を親が理解してあげないと。いい悪いの問題ではないんです」 

母親 「それには、親のほうも年月が必要」

若者 「僕は、親と話しても一方的で対話ができない。無理だと思って閉じこもっちゃう。親の影響は大きいんです」

 すると、沈黙していた父親が口を開いた。

「若い人たちと、こういう話ができるなんて、なかなかない貴重な機会。こういうときに発言できないこと自体が、親も引きこもっているのかなと思う。思い切って話をしようという気になった。今日は、役員や受付の人たちとも初めて話ができて、身近な感じを受けました。

 先行きのことを心配してもどうにもならないし、親自身がクヨクヨしても仕方ない。今日1日、これで良かったと思えるように過ごしている。会社を辞めた息子も、そのうち生きる道を見つけてくれるだろうと思っている。

 若い人たちが、ボランティアでここに来てくださる思い。どうしてそういう思いになったのか。息子にも、できたらお金のことよりも、自分の経験を生かして、人助けをたくさんしてもらえると、それだけでも嬉しい」

 会ったことのない人の前で、自分の本当の気持ちを真面目に話すことは、「カッコ悪いとか、恥ずかしいという文化が、日本の社会にはあるのかもしれない」と、ちはりぃさんは指摘する。

 そこを逃げずに、どこかのタイミングで、一歩前へ足を踏み出せば、次の道はきっと、開けてくる。

 当事者側の男性が、こう声を出した。

「(親には)適度な距離感をとってほしい。財産のことは、提示してほしい。そうすれば、あとどのくらい、引きこもれるかという計算が立つ。長期のプランが立てられるので、それでOK。逆説的ですけど、子どものことを理解するのをやめたほうがいい。親子は、血のつながったアカの他人。理解できっこない。それを理解しようとするから、逆にくっつきすぎて癒着してしまい、変な感じになる。

 うちの親から、“勝手に生きていけよ”と言われたのが嬉しかった。それまで過剰に期待されていたから。勝手に生きていくから、親も楽しんでくれよと思った瞬間、自由に動けるようになって、バイトも始められた。理解するのを一切やめて、どこか行きたいと言われたら、お金をあげるくらいの関係がいいのではないか」

 参加者たちから拍手が起こった。

親は良かれと思って心配していることでも、子どもにはプレッシャーになっていることもある。「親子関係は程よい距離感がいい」という話は、「自分ごと」として振り返れることも多く、とても濃密なやりとりのように思えた。

 最後に、質問箱の質問が紹介されていった。その中に「(ファシリテーターの人たちは)クリスチャンですか?」というものがあって、笑いが起こった。

 潜在的に動き出す源泉は、自分自身の中にあるものだ。それは、他者から一方的に強制されるものでも追い込まれるものでもない。むしろ、本人の中にある潜在力を引き出してくれるファシリテーターの存在が、とても効果的なのではないかということに、筆者は最近、気づいた。

 そういう意味でも、今回も無償で、この重い課題の解決のために引き受けてくれたファシリテーターたちが、マザーテレサのように慈悲深い人たちに見えたのだろう。

 もちろん、この先の結論はまだ見えないけど、こうした対話の試みがどこまで有効なのか、自分も参加者の1人として見つけていきたい。

記事詳細 ダイヤモンドオンライン
http://diamond.jp/articles/-/26479

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