関連ニュース・事件
【家族の貧困】「息子は小さな恋人だった……」母が大事に育て上げたはずのひとり息子の凋落~その1~
親は「普通に育てたつもりなのに」と考えていても、子どもは「親のせいで不幸になった」ととらえる親子が増えている。本連載では、ロストジェネレーション世代(1970代~80年代前半生まれ)のロスジェネの子どもがいる親、もしくは当事者に話を伺い、 “8050問題” へつながる家族の貧困と親子問題の根幹を探っていく。
* * *
現在、東京都23区内に住む大谷綾子さん(仮名・75歳)の“自慢のひとり息子(50歳)”は約10年間の引きこもりを続けている。
息子は小さな恋人だったかもしれない
息子は優秀だった。小中学校と成績が良く、利発で周囲からも愛されていた。高校に入ってからは成績が下がったけれど、1年間浪人して名門大学に合格した。
「ここまでは順風満帆だったんです。今でも覚えているのは、息子が所属していた野球部の試合です。中3の引退試合の市大会の決勝、相手は強豪校で県大会行きのチケットがかかっていた。9回裏、最後の最後で息子はホームランを決めたんです。あの時は応援の女の子がキャーキャー言って、他のお母さんも“かっこいいわね”ってポーっとなっていました」
県大会では2回戦で敗退したが、試合が終わった後、綾子さんのところに来て「お母さん。今まで応援してくれてありがとう」って言ってくれたという。
「そこから猛勉強して県立の進学校に合格。高校からサッカーに夢中になり、こちらもいい成績を収めました。学園祭の後夜祭ではバンドもやって、本当にカッコよかったんです。息子は歌っても、ギターを弾かせても誰よりも上手でした。大学は1浪したけれど、東京の名門大学に合格し上京。一人暮らしをすることになったのです。そのとき、しばらく息子のアパートに住み、料理や洗濯をしていました」
綾子さん一家の地元は東海地方だ。東京で暮らし始めた大学生の息子のところには、4月から夏休みまで4カ月間住んだ。夏休み明けに息子を一人で送り出した時は涙が出たという。
綾子さんが息子のことを話しているとき、どこか恋人のことを語っているようなところが気になった。
「言われてみると、息子は“小さな恋人”だったかもしれない。主人が企業戦士で全く家におらず、私だけで孤独に子育てをしていた。息子だけが私の希望だったのかもしれません」
綾子さんは「でも、本当は女の子も欲しかったんです」と言う。
「一緒に洋服を選んだり、おいしいものを食べに行ったり……私が母とそうしたように、自分の娘と同じようなことをしたかった」
夫は息子にかまうと「過保護だ」と不機嫌になった
綾子さんは東海地方に生まれ育ち、名門女子短大を出てから大手企業に事務職として勤務した。そこで3歳年上の夫と知り合い、25歳で結婚する。
「“デキちゃった婚”だったから恥ずかしかったですよ。結婚前に妊娠するという恥を夫は私になすりつけた。“私が悪いから、こんなことになった”って。水に流したつもりだったけど、いろいろ思い出してきますね。そういうスタートだから、息子は私のものだと思う意識は強くなりますよね」
実家が裕福だったために、実家の援助を受けながら息子を手塩にかけて育てた。
「ピアノ、水泳、英会話……母は夫の実家が大嫌いだったので、私が実家に帰って結婚生活の不満をこぼすと、5万円、10万円とくれたんです。だから幼い時の息子には、銀座や神戸の子供服専門店から、当時誰も着ていなかった海外の子供服を取り寄せて着せていましたよ。革靴にブレザーでお出かけしたりね。顔もかわいいから、みんな振り返っていた。あの時は、親の援助を“あたりまえ”だと思っていたけれど、自分が大人になった子供を養う立場になると、ありがたみが沁みます」
息子にかまいっきりになる綾子さんを見ては、夫は「過保護だ」と不機嫌を隠さなかった。
「夫は何か言うとすぐに否定する。“疲れた”と“くだらない”しか言わない。しかも元部下の女性とずっと浮気をしていたんですよ。こっちも黙ってられないから、“いいわね、あなたにはいい人がいて”など口に出てしまう。そのたびにテーブルをドンと叩いたり、ドアをバンと閉めたりする。息子が12歳のときに、夫は初めて私に暴力を振るった。そのときに、息子は怖かったはずなのに“お父さん! お母さんを叩かないで!”と泣きながら止めに入ってくれたんです」
後編に続く…
引用先:https://news.yahoo.co.jp/articles/daa7957bdfa5e084dadf8a31bf3fd78dbdfa665b