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空き駐在所を引きこもり当事者らの“居場所”にした先駆的施策

2016.06.30

空き家や空き施設の有効活用する動きが広まる中で、山梨県昭和町は、元駐在所を引きこもり当事者らの「居場所」にリニューアルする、全国でも前例のない取り組みを始めた。

 同町にある住み込み式の一軒家が併設された元駐在所の空きスペースを活用して、今年4月に開設された「ピアハウスしょうわ」だ。

 この“居場所”を運営するのは、昨年12月に一般社団法人「やまなしピアカフェ」を設立した1人で、長年の「引きこもり」経験者でもある永嶋聡さん(46歳)。同町からは、委託とか契約とかいう従来のカタチではなく、「協働」パートナーとして運営を任された。

 「要綱やルールをつくらなければ、先に進めないとしたら、先の見えないものには取り組めないという思いが、担当者としてはあります」

 そう語るのは、担当する同町福祉課の伊藤直樹課長(52歳)。とくに、福祉の現場では、先の見えない課題がたくさんあるという。

 「形にならなければ動けないのであれば後手に回ってしまう。せめて、わからないなりにも、やりたい人たちの思いにかけてみたい。後押ししたいという思いが、ピアハウスしょうわという形になって表れたのです」

● 伊藤さんを突き動かす原動力になった 「人生最大の挫折」

 元々、伊藤課長は10年くらい前から、対話を通して答えを探すファシリテーションに興味を持ってきた。個人的にファシリテーションの勉強を始めたのも、かつての苦い経験があったからだ。

 平成大合併の時代、伊藤課長は近隣自治体との合併推進を担当する係長だった。しかし、町民の多くは合併に反対し、結局、単独で行く道を選んだ。

 人生最大の挫折感を味わった。自分が良かれと思って進めてきた合併案が、6~7割の住民に反対されたからだ。

 当時、町内をくまなく歩き回った。合併検討のための第三者委員会をつくり、事務局として進行役も務めた。

 「推進派と反対派で紛糾してしまって、僕は適切な舵取りができなかったんです。もし、あのとき、いろいろな考えに上手い切り換え方ができたとしたら、紛糾しないでもう少し建設的なやりとりができたのではないか? という思いが、ずっと心の中にありました。会議というのは、いろんな考え方が出る。結果はどうであれ、いい方向に導き出せる力を身につけたいと思い、ファシリテーションに興味を持ったのです」

 その苦い経験がなければ、話し合いを円滑に進めていこうとは思わなかったかもしれないという。

「行政マンというよりは、1人の人間として、多様な人と接していくとき、円滑に物事を進めていきたいというやり方を研究してきました。自分が勉強したことは、実際に役場にいたポジションで町民の方と対話するときに、生かすようにしています」

 対話の場を生み出していくと、予期できないことが起こる。その予期できないものを進行役であるファシリテーターとして生み出せたときには、これほどの喜びはないという。

 「誰のためにやっているわけではないけど、自分がいたことによって、目の前の人たちがパッと日が射したような感じに変わったとき、ファシリテーターとしてやったと思える瞬間だと思います」

 現在は、県の市町村職員研修所で、ファシリテーション会議の進め方の講師も務めている。

● 元駐在所の居場所「ピアハウス」には “ルール”が存在しない

 永嶋さんは、昨年「ひきこもり大学」という当事者発のワークショップを県内で開いた際、伊藤課長がファシリテーターを務めることになった当事者たちに勉強会を開催してくれたのがきっかけで、伊藤課長と出会った。

 そんなときに、西条駐在所が昨年3月末付けで移転することになった。

 それに伴って、空きスペースを地域の見守りにしている人たちの立ち寄り所である「交通安全ステーション」として使うとともに、警察官の家族が居住できる家の空間をどうしようかと考えていたとき、「やまなしピアカフェ」の永嶋さんにつながっていく。

 元々、空き交番や駐在所を地域の人たちの居場所機能として有効活用したいという発想は、町長や副町長の考えでもあったという。

 ピアハウスは、“みんなの家”という願いが込められている。そのネーミングも、伊藤課長が名付けた。

 「やまなしピアカフェと連動したいという思いがあったことと、施設ではなく、みんなが立ち寄れる家でありたい。何よりも、相談業務を行うところではなく、仲間がいるところという意味から、ピア、ハウス、しょうわと、自然につながっていったのです」(伊藤課長)

 実際、永嶋さんは、みんなの集まれる家にするために、ルールをつくっていない。もめ事も起こるため、ファシリテーションが必要になるという。

● 「過呼吸がなくなった」「ストレス解消に」 引きこもる女性が続々

 同町に住む40歳代の女性は、元々、製造業の会社に勤めていたが、上司から退職に追い込まれた。しばらくの間、外にも出られなかった。

 外に出るには、不安感との闘いだった。過呼吸発作を我慢して、ウオーキングを始めるうち、図書館などには行けるようになった。

 ピアハウスのことが紹介された地元紙の記事を見て、ここに行かなければと思った。役場に電話すると、「今日は開いていますよ」といわれたので、行くか行かないか、さんざん悩んだ末、「今日がチャンスだ」と自分に命じてやって来たという。

 ピアハウスに通うようになって、過呼吸がなくなった。人と話すことや交流ができるようになってきたことが良かったと感じる。

 家の中にずっといる感じになって、外に出る機会がなかった。ここにいると、いろいろと気にしていたこともなくなって、安心感がある。

 30歳代の女性は、県内の別の自治体から車で1時間ほどかけて来ている。

 10年ほど山梨県を離れて非正規で働いたり、カルチャースクールで勉強したりしてきた。しかし、実家の親が病気になり、結婚もしていなかったため、就職活動したものの上手くいかず、うつ症状になった。結局、1人で生活できなくなり、実家に戻ってきた。

 ピアハウスについては、就職活動中、やはり新聞記事で見つけた。気になっていたものの、これまでのプライドから、私の行くところではないのかなと思っていた。しかし、それまでは普通に仕事できていたのに、職場で人目が気になってしまって、自分の存在価値が出せなくなってしまった。

 「私みたいな者でも行っていいですか? 」と、永嶋さんに連絡すると、「ぜひ」と言われた。

 まだ心は開けていない部分がある。元々、人見知りで、新しい所に飛び込むのが苦手、つい構えてしまって、慣れるまでに3倍くらい時間がかかるという。

 いまでも働くことへの怖さがある。

 来たときは、みんなと話ができるから楽しいものの、家に帰ると、落ち込む。

 「基本的に女性は、話に共感してほしいから、そういう場があると、しゃべりやすいし、ストレスも発散できる生き物だと思う。でも、自分の身近には、そういう場がないですね」

記事詳細
ダイヤモンド・オンライン 6月30日(木)8時0分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160630-00093942-diamond-soci

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