はじめに
大人の発達障害について知られるようになりましたが、私にはどうも納得いかないことがふたつほどあります。
大人の発達障害は、大人になってから発達障害であることがわかったということで、そのほとんどが、就職後明らかになります。大人の発達障害と言われ理解が進んでくると、30代、40代、あるいはそれ以上の年代の人も、ひょっとしたら自分は発達障害なのではないかと思うこともあるでしょうし、また診断のつく人も多くいると思います。
しかし、これほど注目されるようになったのは、アルバイトでも新卒採用でも働き始めた時、仕事自体や人間関係でどうもうまくいかないと感じ、そのうまくいかなさが発達障害の特徴として認識されるようになったので、一層目立つようになったのだと思います。
そのため大人の発達障害が問題となるのは、職場です。どうも納得のいかないことのひとつは、職場においては発達障害の人だけではなく、周りの人も悩み苦しんでいますが、そのことはあまり知られていないということです。
そしてもうひとつは、最近は発達障害者への対応の仕方についてたくさん言われていますが、職場で問題となるまさにその時には役に立たないのではないかということです。
私は30年余り精神科を含めいくつかの病院の相談員をしてきました。その後3年ほど障害者の就労支援の仕事をし、現在はメンタルクリニックに勤めています。
メンタルクリニックには、仕事上のことで精神的不調をきたし、受診する人が多くいます。発達障害の人もいますし、抑うつ障害の人もいます。
職場の人間関係で不調をきたす人もいますし、上司の圧迫やハラスメントもありますが、その中には発達障害と思われる人との関係で、うつ症状になり職場に行きたくない、行けない、頭痛や吐き気、不眠などさまざまな症状を呈し、休職やついに退職に至る人もいます。
配偶者など親しい関係において精神的身体的症状に至る、カサンドラ症候群(※)が知られるようになりましたが、職場においてもつらい思いをしている人がいます。仕事がうまくできない、周りの人とうまくつきあえないなどで悩み精神的不調をきたし受診したところ、発達障害だとわかる人もいますが、発達障害と思われる人に反応し具合が悪くなり受診する人もおり、両方の人がいるのです。
発達障害の人を責めるとかそういうことではなく、事実として、職場の中で発達障害の人も発達障害の周りにいる人も、同じようにメンタルクリニックを受診してきます。発達障害に注目が集まっていますが、周りの人のつらさはあまり知られていません。メンタルクリニックを受診するに及んでは、発達障害があってもなくても、患者さんとして違いはありません。
もうひとつ、発達障害の人への対応や配慮の仕方についてですが、それらについて知ることは発達障害者を障害者雇用として採用した場合、就労支援として、また合理的配慮として重要なことです。しかし、職場で発達障害かもしれないと思ったとしても、決めつけることはできませんし、診断もできません。
また本人も、自覚がない場合もありますし、そうかもしれないと思っていたとしても、はっきりと理解することはできません。問題が発生し始めた時は、発達障害だと認めることはできず、その対応を取ることもできません。また、発達障害の人も周りの人も、同じように採用された一職員です。仕事をしていく中で、発達障害かもしれないと思っても、特別に配慮したりはできません。
職員として同等ですから、周りの人も発達障害かもしれないと思っても、業務上の支援をするような立場にはありません。発達障害への対応についてたくさん書かれていると、そのようにしなければならないという気持ちになってしまいますが、そうかもしれないことへの対応を求めるのは、無理があり、職員として対等ではなくなります。
たとえば、冷え症かもしれない女性社員がいるので冷房の温度を高く設定する。心臓病かもしれない社員には荷物を持たせない。冷え症なのか、心臓病なのか決められないのに、暑がりの社員、荷物を二倍持たなければならない社員はどうしたらよいでしょう(まぁ、冷え症か心臓病かは、聞けばわかりますけど……)。
発達障害への対応についての提言は、そもそも前提が違います。発達障害と診断された後と、発達障害かもしれない、わからないという時点での問題は、実際の現れ方と困り方が違います。
発達障害と診断され精神障害として認められれば、社会的にも障害として認められます。その時点ではじめて、本人と職場の合意をもとに、どのように対応していくか考えることができます。
職場は、家庭でも学校でもありません。本人のプライバシーや人権にも関わりますから、はっきりしないうちから、対応はできませんし、求めることもできません。
昨今は、グレーゾーンという言葉もありますが、発達の凸凹が、明らかに障害とわかる人から一般の人までグラデーションのようにあり、判断の難しい障害です。そのため、あいまいな印象と、誤解や不安を与えやすいと思います。職場で起きている人間関係の事実と、働くことと発達障害、これら一連のことをどのように考えていったらよいのか探っていきたいと思います。
本書では、職場で出会う発達障害かもしれない人たちのことを、「発達障害の傾向がある人」と呼ぶことにします。発達障害の傾向がある人にも周りの人にも、どちらかに肩入れする話ではありません。両方の人たちの悩みや苦しさには、人間関係的な閉塞感を感じ、少しはオープンに考えることができ、ともに、病まずに、生きていくことはできないものかと思っています。
※カサンドラ症候群
カサンドラ症候群のカサンドラは、ギリシャ神話に出てくる王女の名前である。太陽神アポロンに愛され予知能力を授かるが、その予知能力でアポロンの愛が失われることを知り、アポロンを拒絶する。
それに怒ったアポロンは「カサンドラの予言は誰も信じない」という呪いをかける。カサンドラは真実を知って伝えても、誰にも信じてもらえなかった。真実を言っても信じてもらえないところから、カサンドラ症候群の名前がついた。
カサンドラ症候群は、主にアスペルガー症候群(現在は自閉症スペクトラムと呼ばれている)のパートナーと情緒的な相互関係を築けず、精神的身体的症状を呈している状態をさしているが、1990年代以降アメリカで言われるようになり、日本においても認識されるようになってきた。パートナーのつらさが周りの人にわかってもらえないことから、カサンドラ症候群と名づけられた。しかし、アスペルガー症候群のみならず発達障害の人と接する時の悩みは、第三者にわかってもらえないということは共通していると言える。
引用先:発達障害…周りの人もメンタルクリニックを受診する理由は? | 幻冬舎ゴールドライフオンライン (gentosha-go.com)