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虐待、被災、うつ病…これでも貧困は自己責任か? 25歳男性の過酷すぎる半生
新型コロナウイルスが猛威を振るった2020年、認知された児童虐待の件数は過去最悪だった2018年を上回るペースで推移した。ストレスに耐えかねた大人たちの不満のはけ口にされるのは、いつも幼い子供たちだ。
こうした問題は、今回の新型コロナウイルスの一件に限った話ではない。天災は家庭に潜んでいた問題を一気に表面化させる。表面張力で耐えていた水面に一粒の水滴が垂れるように、家庭崩壊の最後の一押しになりえるのだ。 「自分が衰弱していく様子を、SNSで実況したら面白いかなと思って始めたんです」 そう話すのは、都内で一人暮らしをするDさんだ。どこか自分を相対化し突き放したような冷静な口振りと、白髪交じりの頭髪、疲れ切った表情――ぽつりぽつりと静かに身の上を話す合間、彼はこれまでのツラい記憶を思い出しているのか、ぐっと目を見張って怒りを抑えたような表情を見せることもある。2020年4月にはうつ病の診断もおり、相当な苦悩を重ねたという風貌のDさんだが、彼はまだ25歳の若者だ。
実の両親には頼れない
一人暮らしをしていた2019年6月から始めたTwitterは、いわゆる「鍵アカウント」で、閲覧制限をかけているにも関わらず、1000人近いフォロワーがいる。両親からの金銭的な搾取によって口座からお金が尽き、ライフラインが全てストップした状況から始めたが、今では彼の重要な居場所だ。 「SNSで出会った人たちには、実生活でもずいぶん助けられました。家具や家電をもらったり、役所の手続きに付き添ってもらったり。親から逃げるときにも車に乗せてもらいましたし。今の家も、徒歩圏内にフォロワーの方がいてよく会っています」 今はそういったネット上の人間関係と、生活保護を利用してなんとか暮らしているというDさん。一般的な家庭環境であれば、実家に身を寄せて体勢を立て直すことも検討できるかもしれないが、彼の場合はそうもいかない。 「NPO団体が運営している貧困施設で暮らしていた時、実際に支援者の人からも同じことを言われました。『実の親子なのだから、必ずわかりあえる。君はもったいないことをしている』と。でもウチはそんなんじゃないんです」 話を聞くと、彼の壮絶な半生と到底信じがたい家庭環境が垣間見えた。出身は東北のとある地方都市で、理髪店を営む母と測量士の仕事をしていた父の間に生まれたDさん。父母からの虐待は幼少期から始まっていたという。 「母はいわゆる『教育ママ』タイプで、情緒不安定な人でした。母方の祖父が認知症になってから理髪店の経営状況も悪化したようで、ますます追いつめられていました。当時はちょうど小泉政権の規制緩和前後で、地元の理髪店が低料金のチェーン店に圧倒されていた時期でもありました。父も家族に相談せず離職を繰り返す人で、音信不通になってしまうし」
裸で家の外に放り出されて…
9歳のころ、小学校のテストで点数が悪かったときの記憶は特に鮮明だという。額の小さな傷跡を見せながら、こう続けた。 「頭を掴まれてガラス戸に叩きつけられました。ぱっくり額が割れたんです。病院に行って、医療用ホチキスでバチンと止められたのをよく覚えてます。裸にされて家の外に放り出されたこともありますし、一緒に死のうと車で連れ出されたこともあります」 そこまでの酷い虐待を、周囲は気づかないものだろうか。不思議に思って尋ねると、Dさんはこう返答した。 「小学校の教頭先生が気づいてくれたみたいです。聞き取りもされましたが、幼いながら報復が怖くて『僕が悪いんです』と言ってしまい、特に公的な救済はありませんでした」 彼が経験した虐待はこうした殴る蹴るの類だけではない。二次性徴が始める前、ごく幼いころに父からは性的虐待を受けた。 「父からは口淫を強要されました。当時はその行為がもつ意味がわからなくて、成長してから『あれは虐待だったんだ』と気づいて。二次性徴が始まってからぱたりと止み、『昔は可愛かったのにな』と言われた時は、本当に気持ち悪くて……」
「逃げなければ」東日本大震災で気づいた家庭の異常さ
父からは他にも、口げんかをした時に大事に飼っていたペットを殺されてしまうなど、心理的な虐待を受け続けた。自分の家庭に異常があると気づいたのは、皮肉にも中学三年生の終わり、高校入学間際というタイミングで東日本大震災で被災し、避難所生活強いられたときのことだったという。 避難所で喚く母、失踪中の父。すみませんと謝ってまわる自分。周囲の家庭環境との差を、Dさんはそのときはっきり自覚した。それが最後の一押しだった。 「逃げなければと思いました。このままこの家族と一緒には暮らせないと」 高校を中退し、17歳から家出同然で友人宅を点々とした。飲食店などで懸命に働いてお金を貯め、19歳で通信制高校を卒業。その後映像関係の仕事をしていたときは夜から早朝にかけての勤務だったため、空き時間だった昼間には近くの大学に聴講生として潜り込んで、福祉について学んでいたという。 夢だった大学進学のため必死にもがいていた、そんな時のことだった。 「都会のほうに出て働いていたとき、親に住所を突き止められて通帳を持って行かれました。口座からお金を抜き取られてしまったんです。もともと親が作った口座で、暗証番号は共用のものらしくて」 体も成長し、肉体的に両親に勝るようになってからは、経済的な虐待にシフトしたのだ。 ほどなくして彼の生活は困窮した。しかし具体的な打開策がわからない。自暴自棄に近い状況の中作ったのがTwitterのアカウントだった。自分のほしいものをリスト化して公開、プレゼントを受け取ることができる「ほしいものリスト」機能を活用し、フォロワーから援助を受けた。一部のフォロワーとは実際に対面で会い、役所での手続きを教わった。
壮絶だった施設の人間模様
「生活保護の申請方法も、NPOの貧困施設のことも、親から居場所を知られないように行う住民基本台帳の閲覧制限のかけ方もフォロワーの方から教わりました」 この時の持ち物は3日分の衣服と、なぜか茶碗やコップなどの食器類だった。 「すぐに揃えられるのになぜか絶対必要だと思っていて。後から冷静になってどうしてだろうと、ケースワーカーと一緒に笑いあいました。思い出の品なので今でも手元にあります」 2019年11月、ほぼ着の身着のままで関東圏に移り、NPOの運営する施設に身を寄せた。生活保護費11万円のうち9万円ほどを施設に渡し、住環境を整えてもらう。一人部屋の個室に、病院食のような野菜中心の味気ないワンプレートメニューが続き、ラーメンやチャーハンに飢えた。60人ほどの共同生活だったが、施設利用者たちはいずれも社会の辺縁に追いやられてしまった人々だったという。 「将棋の真剣師(賭将棋で身を立てる人)だった方、元暴力団関係者、薬物使用者、おそらく知的に障害のある方……年上の人たちばかりでした」 半年ごとに契約を更新する決まりになっていたが、なかには十年間更新し続けている古株もいた。施設を終の住処とし、亡くなってしまう人もいた。突然失踪し、強盗で捕まってしまった人もいた。
盗難騒ぎは日常茶飯事
利用マナーも劣悪だった。鍵を開けたままにしておくと勝手に自室に入られる。利用者同士での盗難騒ぎは日常茶飯事で、スマホを持っていることを隠し通すのも一苦労だったという。 「施設でスマホを持っている人は自分を含め三人いたそうなんですが、もし窃盗騒ぎがあれば『一体誰だ?』と、犯人探しのようになってしまうんです」
施設よりも親との同居がとにかくツラかった
ただ、そんな環境でも本人は親と同居していた期間が人生で最もツラかったと続ける。 「結局施設から出てしまえば他人ですから。親は一生関係があるもので、呪いのようなものです」 筆者とDさんが初めて出会ったのも、この千葉県の施設生活中のことだ。施設には門限の22時までに寝に帰る程度で、日中はネット環境を求めて近くの商業施設に行く。「施設に住所があるうちは就職活動ができないんですよ」と、Dさんが疲れた顔で言っていたのを思い出す。施設の悪評が酷く、入居者であることがバレると就職ができないのだという。2020年12月現在、施設を抜け出し都内で暮らす彼だが、その後生活はどうなったのだろうか。 「コロナで就活はストップしていますし、そもそも経歴を正直に話すと誰も雇ってくれません。雇用契約を結ぶときの緊急連絡先用に『名前と連絡先だけなら貸してあげる』というフォロワーの方もいるんですけどね。でも鬱が酷くて、夕方になると低速回線で見る動画みたいにグルグル思考が回ってダメになる。とにかく今は次の目標が見つかるまでは、ゆっくり休みたいです」
生活保護受給を非難されて…
家庭環境から逃げ出すことにこれまでの歳月を費やしたDさん。やっとのことで安らげる時間を手に入れたと思いきや、最近会ったフォロワーには生活保護を受給していることについて厳しく非難され、悔しい思いをした。 「生活保護を受けることは恥だ、粛々と生きろと言わんばかりでした。確かに生活保護のおかげで人間的な生活もできていますし、感謝はしています。この状態から脱したいという気持ちも、もちろんある。でも、数年前までは他ならぬ自分自身が福祉について勉強していたり、きちんと働いていたわけで、まさか受給者側になるなんて自分でも思っていなかったですよ」 最近になって厚生労働省の呼びかけもあったように、生活保護は国民の権利である。無用な誹りによって、保護の対象になる人々が受給を控えるようになる事態は避けるべきだ。 天災、虐待、貧困、精神疾患など自分のコントロールできない要因によって、誰もが生活苦に陥りうる現代。他者の生きづらさを想像し、寛容な心を持つことが必要なのではないだろうか。社会福祉を足がかりに、Dさんの人生に希望が見えてくることを祈るばかりである。
引用先:虐待、被災、うつ病…これでも貧困は自己責任か? 25歳男性の過酷すぎる半生(週刊SPA!) – Yahoo!ニュース