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「行きたくなければ行かなくていい」娘の不登校を肯定する父 本当に「学校なんて意味がない」か
  • 大学で「精神医学」の授業を担当していますが、学生から「不登校について学びたい」という要望が毎年多く聞かれます。不登校の生徒数は年々増加しています。親は不登校の子どもにどのように対応すれば良いのか、学校へは行くべきなのか、行かなくてもよいのか、など不登校を巡る問題は世の中の関心を集め続けています。最近でも、YouTuberの「不登校」宣言に対し、さまざまな意見があったことは記憶に新しいかと思います。今回は、1つのケースを例に親の対応について考えてみたいと思います。


    母親と父親、教育方針の違い


     先日中学2年生の娘のA子さんの不登校について母親が相談のため来院しました。


    A子さんは2学期から欠席することが増えていき、何とか3学期までは通学していました。しかしそれ以降「学校なんて行ってもつまらない」と学校には行かなくなったそうです。


    「夫はA子に『行きたくないなら、行かなくていい』と言っています。私が『将来困るから行きなさい』と言っても『パパは行かなくていいって言ったから行かない。どうせ行ったって意味ないし』と言い返されてしまいます。このままでは大学に進学できなくなるのではないかと心配で」と母親は話しだしました。


     母親によれば父親は権威や規則が大嫌いで学校に対しても良いイメージをもっていないそうです。そんな父親は、A子さんが小学生の頃から「学校なんて意味がない。行ってもろくなことがない」と口にしてました。


     父親の両親は父親が中学に入る直前に離婚しました。自分と母親を棄てた父方祖父を恨んでいた父親は、中学生になると、校則を破ったり、欠席することが増えていきました。高校になんとか進学したものの、教師に激しく反抗することが続き卒業直前に中退しました。その後は専門職に弟子入りし、現在は独立して会社を経営し成功しています。


     一方母親は裕福な家庭で育ちました。両親は高学歴で教育熱心。何をするにも干渉され、禁止されることが多かったそうです。


     二人はお互いにないものを相手に見つけ、特に息苦しい実家から出て行きたい母親は、両親の反対を押し切って、独立心旺盛で自由な感じのする父親と結婚することを決めました。


     しかし二人の意見の食い違いはやがてA子さんの教育方針を巡って目立ち始めました。


    母親は父親の意見を聞かずにA子さんが幼稚園の頃から幼児教室やピアノや英語、体操に通わせました。しかし、A子さんは結局どれも「行きたくない」と言い出しました。そんな時父親は「ほらみたことか。さっさとやめさせればいい」と言い、続けさせようとする母と喧嘩になるのでした。


     小学4年生の時には学校帰りの寄り道が見つかってA子さんが担任に注意をされたときも、「ルールは守るべき」という母親に対して「やりたいようにすればいい。学校に縛られる必要はない」と父親は言いました。そんな時A子さんは自分に都合の良い父親の意見を選びながら生活していました。


     今回もいつものように父親と母親の方針が合わなかったわけですが、今回ばかりは娘の将来に影響する大きな問題だと考えた母親がこのまま放っておいてはいけないと感じて来院してきたわけです。


     父親と母親で子どもへの接し方や方針が全く異なる場合には、A子さんのように、子どもは自分の都合の良い親の意見を受け入れ、もう一方の親の言うことを全くきかなくなることがあります。


     実際に父親が娘のことをどのように考えているのかを知る必要があるため、次の回では父親にも来院してもらいたいと母親に伝えました。母親は「夫は『先生』と名の付く人は大嫌いなので来ないかもしれない」と言いましたが、翌週二人で来院しました。


     父親は「自分も中学は不登校、高校も中退だが、今は何一つ困ることはなく生活している」と自分の話を引き合いにだし、「学校に行きたくないなら行かなければいい。学校なんて行かなくても生きていける」と話しだしました。そして母親について「学歴がどうのこうのとかうるさすぎる。学歴なんかなくたって生きていける。学校に行くことに意味があるって言うならどんな意味があるのか教えてほしい」と言い出しました。


    「これからどんな大人になるのか」を模索すること


     思春期は、「これから自分はどんな大人になるのか」を模索して自分自身を作り上げていく時期です。この時期には親以外の第三者、教師や友人との交流が大きな意味を持ちます。親以外の教師や友達の意見や考えを知り、それまで親の受け売りだったとしても、そこで改めて自分はそれについどういう考えを持つのか自分に問うようになります。


    「あいつは全然だめ」とか「この人はすごい」とか子どもは教師や友達を批判したり、賞賛したりします。これは自分がこれからどんな大人になりたいのかを相手の中に映し出して試行錯誤している営みです。また「あんなのでよく先生なんかになれるよね」というセリフを聞くことがあります。これは大人になる不安を教師を通して「あの先生でも大人になれる。だから自分も大丈夫だ」と和らげていると言うこともできます。


     また、思春期になると親離れが始まり、友達とは小学校時代とは異なり結束が強い親密な関係になります。友達を失うことは孤独で耐えがたいことになるわけです。ですからこの時期には親子関係で育ち損ねた部分を友達関係の中で直す機会にもなりえます。例えば「時間を守らない」「口調がきつい」などが親子関係では修正されなくても、友達関係でそれが問題になり仲間からの圧力(ピアプレッシャー)がかかることで修正されることがあるのです。


    対人関係を学ぶ場としての学校


     学校に行かなくても勉強はできるかもしれませんが、対人関係を学ぶ場としての学校の役割は大きいと考えられます。私たちは社会の中で生きているので、人と関わらないわけにはいきません。自分とは違う意見をどのように聞き、どのように自分の意見を伝えるのか、それらに対して相手はどのような気持ちを抱くのか。実際に経験しながら学んでいくことができるのです。対人関係を学ぶことはオンラインでの交流が多くなっても変わらず大切なことでしょう。


     また社会には様々なルールや枠組みがあります。学校生活の枠組みを通して自由や責任を学べることも付け加えておきたいと思います。


     親以外の色々な人と交流し、様々な物の味方や考え方に出会うことで自分自身が豊かになり、人生の選択の幅も広がると言えるかもしれません。


    親の願望を子どもに託すこと


     A子さんの父親には以上の学校生活から得られることを説明しました。


    「お父さんとA子さんは別の時代を生きる別の人間のため、お父さんにとって良かった方法がA子さんとって良い方法なのかはわからない。A子さんも両親だけではなく色々な人との交流を通して、自分で自分がどうなりたいかを選び取っていく必要があるのではないか」と伝えました。


     父親は「妻が学歴のことを言うと自分を否定された気がしていた。それでA子にも自分のようになって欲しい気持ちが強かったんだと思う」と話しました。そして「A子が幸せになることを願わないわけがない」と言うと言葉に詰まり涙を浮かべました。母親はそれを驚いた様子で見つめていました。


     父親は「『学校に行かなくてもいい』というのはもうやめようと思うが、いきなり今までと違うことをいうわけにもいかないのでどうしたら良いか」と心配そうに尋ねました。そこで、「もう一度二人で話し合い、本当に納得できたのであれば、正直に考えを変えたことをA子さんに説明してはどうでしょうか」と伝えました。


     親は自分の願望を子どもに託すことがあります。しかし、子どもへの願望が強すぎる場合には、それは子どもを発達方向に導くものなのか、そうではなく親自身の満足のためなのかを区別する必要があります。そうでないと子どもは親の願望でがんじがらめになって自由な自分の人生を送っていくことができなくなってしまうこともあるので注意が必要です。


     A子さんは父親が態度を変えたことで、学校に行かない自分自身について考えることを始めました。そして「学校に行きたくないのは自分から友達を作るのが難しいことと関連している」ことに気がつきました。現在はカウンセリングを受けながら、家に籠るのではなく、フリースクールに通うことを検討しています。


     思春期の発達的観点から、親以外の第三者との関わりが大切であることには違いありません。しかし、不登校は一つの疾患単位でなく子どもはそれぞれ異なる様々な問題を抱えています。ですから、その子どもの状態をきちんと理解するためには専門家に相談されることをお勧めします。最近では学校以外に、フリースクール、キャンプ、メンタルフレンドの訪問など、不登校の子どもが利用できる選択肢は増えています。専門家と相談しながら、適切なタイミングで、子どもが発達方向に成長できる選択をすることが大切だと思われます。


    引用先:「行きたくなければ行かなくていい」娘の不登校を肯定する父 本当に「学校なんて意味がない」か(関谷秀子) – 個人 – Yahoo!ニュース


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