関連ニュース・事件

いまだ未知数…発達障害の息子は「こんな風に、周りが見えている」と知った時の衝撃
  • いつも5分と座っていられなかった息子


    自閉症の息子であるがっちゃんのために川崎市でアイムの放課後デイをはじめたのが6年前。当時は9年間のアメリカ生活から帰国してまもなくであった。がっちゃんはその時14歳、初めての日本での中学生活でドキドキであった。


    重度の知的障害をもち、言語能力は幼稚園レベルにも届かない。そして何よりも極度の多動症であった。そんな彼が新たに日本の学校でうまくやっていけるのか心配だった。  ここをスタートに、がっちゃんの成長とともに必要な福祉のサービスを拡大していった。放課後デイからノーベル高校、そして就労支援を目指す生活介護のピカソ・カレッジ。  あまりにも行動が奇想天外な息子の子育てには日々いろいろなハプニングが起きる。  中学校の時のがっちゃんと言えば、机に座っていられず校舎を脱走しては校庭を走り回っていた。授業中は床に寝転がってしまったり、黒板を雑巾でビショビショにしたり、かなりな珍行動を起こしていた。  学校の時間割に従って行動するのはもってのほか、ある時は、気が向くとホウキをもって寒い中校庭の落ち葉掃除をはじめたり、またある時は、全生徒が体育館に揃っている時に、ハシゴを登って体育館の上を叫びながら走り回る。それを先生がおいかけまわすという騒動が起きた。当然これらに付き合う先生たちは大変だったと思う。  いつも5分と座っていられなかったがっちゃん。しかし16歳で「GAKU paint」と言って突然絵を描き始めた日を境にガラリと変わる。  最初は息子がそこまで本腰を入れて絵を描くとは考えていなかった。飽きっぽいがっちゃんは、今回もまた短期的に集中してすぐに飽きるのではないかと考えていた。  だから息子を担当しているスタッフのココさんとも「とりあえず違った画材を与えてみて、どこまで集中力が続くかみてみよう」と話していた。  しかし我々の予想に反してがっちゃんは絵を描き続けた。気がついたら年間200枚以上の絵を描き上げていた。そして自ら「GAKU、museum、絵、かざるー、」といって展示会をやりたいといってきた。あの時、まさか1日中絵を描く日がくるとは想像もできなかった。  そんなGAKUがこの5月でハタチになった。この20年、息子の成長を近くでずっと見守ってきた子供が次のステージを目指すいいタイミングだ。がっちゃんからGAKUへ、SDGsアートの最前線で活躍する「アーティストGAKU」に成長してくれた。そこで息子の20歳のプレゼントして「社団法人byGAKU」を設立することにした。  というのもこれには理由がある。GAKUは、これまでは福祉施設の中の一つの活動として絵を描いてきた。もともとはノーベル高校で授業として絵を描いていたのだ。つまり、今までは福祉の枠組みの中で絵の活動をしてきたが、今後はアーティストとして自立していく決意を固めた。  社団法人byGAKUの設立は、これまでの「趣味活動の絵のがっちゃん」を卒業して「アーティストGAKUとしての活動」に本腰をいれていくという意思表示である。  なによりも、「GAKU paint」と言ったあの日から、がっちゃんの心には「絵を描く」以外の将来は考えていなかったんだ…と今では分かる。


    「表現したいことがあったんだ」


    それは、例えばこんな小さな変化からも読み取れた。  絵を描き始めた初期の頃の話だ。思ったより絵の枚数が溜まってきたので試しに自費で画集を出したときのこと。そのとき教室に届いたサンプルをもって、がっちゃんが三枝さんにドヤ顔でみせにいった。  三枝さんは、アイムが一番はじめにつくった、アインシュタイン放課後の初期からいる児発管(児童発達支援管理責任者)で、がっちゃんとは長い付き合いのスタッフでもある。なのでずっとがっちゃんの面倒をみてきてくれた。  最もおちつきがなく手こずった生徒だったがっちゃん。そんな彼が自分の作品の本をわざわざ三枝さんにみせにきた。がっちゃんは言葉でしゃべれないので単純に「GAKU、絵~」といって見せただけだった。でも彼の顔は得意げだった。  「がっちゃん、ちゃんと自分の成果だっていう自覚もあるし、絵を描き始めて自信のある顔つきになったわね」  三枝さんが少し驚いて話してくれた。結構あたりまえな話に聞こえるかもしれないが、親の私にとっても「自分の絵が一冊のまとまった本になった自覚が、ちゃんとあるんだ」というのは驚きであった。というのも、言葉で物事を表現できないがっちゃんが、普段自分の行動や物事をどのように捉えているのか知る由もなかったからだ。  それ以外にも、彼が絵を描き始めてから親として初めて分かったことがたくさんある。  「ちゃんと形と空間を理解しているんだ」 「こんな色彩センスがあったんだ」 「見たり感じ取ったものを作品に応用させて進化するんだ」  そしてここが最も重要な点である。  「こんなに物事を感じていて表現したいことがあったんだ」  もし絵が彼の言葉であるならば、彼の情報量は膨大な量になる。言葉では全く教えてくれなかったが、こんなに情報を吸収してきたんだ。そしてそれを作品の手法に反映させる理解力とセンスがあるんだ。  彼の作品をみて「人の能力はIQ(ちなみにがっちゃんは現在、IQ25と診断されている)だけでは測れないものだな」と痛感した。そして言葉を発しないからといって、物事を理解していないわけではないな、とより感じた。


    中学の先生を覚えていたなんて…!


    さらに、私にとってもうひとつ驚くことがあった。この3月の世田谷でのGAKUの個展の時のことだ。  がっちゃんはキレイなお姉さんが好きで(どの子供もそうだと思うが)、お姉さんを見つけると積極的に話しかけにいく。しかもきっかけづくりが上手で、自分の作品のハガキセットを最初に手渡すのだ。  もう一つ興味深いのは、自分からみて重要と思った人にはハガキでなく自分の名刺を渡す。キレイなお姉さんみんなが名刺をもらえるわけではない。ここらへんはちゃんと彼の中でも人に対する洞察力がみられる。  ちょうど週末の会場でいろいろなお客様がきてくれていた。するといきなりがっちゃんが会場の中を走っていって中年の女性二人組に話しかけにいった。  ものすごく興奮した感じで受付に戻ってくるとはりきって名刺を彼女たちに手渡していた。最初誰がきたのかわからず、私もスタッフも遠くからみていた。  キレイなお姉さんでもないし、なぜがっちゃんがあんなにテンションが高いのかわからなかった。スタッフも「なんかがっちゃんすごくご機嫌そうね」と話していた。  普通だと数分でお客さんに話しかけるのをやめるのだが、今回は10分以上経ってもずっとその二人組に熱心に話しかけて自分の絵を案内していた。  私がそばにいくとがっちゃんが興奮したままこういってきた。  「Take picture, this one(写真とって、これで)」  自分のお気に入りのゲストとお気に入りの絵の前で写真を撮ってくれということだ。  そして写真を撮る時に気がついた。がっちゃんが通っていた宮前平中学校の支援学級の元先生の二人組だったのだ。展示会を見に来た学校の関係者から「あのがっちゃんが個展やっているよ」と聞いてかけつけてくれたのだ。  中学校を卒業してもう5年近く経っていたので、私はすっかり忘れていたのだが、がっちゃんがすぐに気がついたことに驚いた。  がっちゃんが自分の中学校の時の支援学級の先生二人組に気がついたことにも驚いたが、それよりも親としてもっと驚いたことがあった。  がっちゃんがうれしそうに20分ほどずっと先生たちと話していた。とはいったものの語彙の限られたすごく簡単な会話である。同じ言葉の羅列をがっちゃんは楽しそうに何十回と繰り返した。そして先生たちは目を細めて「そうね、そうね」とうなづいていた。  先生たちの手を引くと「this one」とかいいながら違う絵をみせていった。そして腕をくんで前屈みに笑いながら言葉をなげかけていた。まるで「ボク、こんなに成長したんだよ」といいたげな表情だった。  先生二人が懐かしそうに「あの時はあんなこともこんなこともあったわね」と笑いながら話していた。そして先生がしみじとした感じでこういった。  「がくとさん、こんなに言いたいこと(絵)があったのね。あの時もっとお話を聞いてあげればよかったわね。こんなに楽しいと感じていてくれたんだね。」  がっちゃんはそんな先生二人をものすごく「懐かしい」という表情でみていた。親として驚きだったのは、がっちゃんが人に対して懐かしい表情をするのを初めてみたからだ。  「そうなんだ、がっちゃん、人を懐かしいと思うんだ」と心の中で少しびっくりした。いつも人に関心なさそうに、プイと走り去ってしまうからだ。  中学校の時だって、当然先生たちの顔を見て何かをしゃべるわけでもないし、自分一人の世界にいる感じだったからだ。家でも先生の話をしたこともないから、過去に対してどれくらいの認識があるのかわからなかった。  そんながっちゃんが「とても懐かしいよ!」という表情でうれしそうにずっと先生たちとコミュニケーションをとっていた。その表情はとても暖かった。私はそんながっちゃんの様子をみて、胸がジーンときて涙がでそうになった。  がっちゃんはここまで立派に成長してきた。そして彼がここにくるまで、彼自身にもたくさんの困難や葛藤や壁があったと思う。それらを乗り越えながらここまできたのだろう。それだけでなくお世話になった人に対しての感謝の念も持っている。


    いまだ未知数な息子


    言葉で意思表現ができない自閉症の成長はとても分かりにくい。私が息子の成長を実感できるようになったのもここ最近の話だ。そして教室でがっちゃんの面倒をみてくれたスタッフもここにきて彼の成長を実感できるようになった。  「お、なんか人間らしくなってきたね」  がっちゃんに関してそう思えるようになったのはここ2年くらいだろうか。それまではがっちゃんは完全に宇宙人だった。何をどう感じて、どう理解しているかも未知で、彼の反応と行動は毎回予想不能だったからだ。  私も奥さんもがっちゃんをずっと同じ屋根の下で育ててきたが、それでもがっちゃんに関しては謎が多かった。なんかシートン動物記に登場するオオカミのロボとかみたいだ。ずっと観察しているんだけれど、なかなかその生態がわからない、といった感じに。  もちろん今でも謎な部分が多すぎて、家族でありながらがっちゃんの知らないことの方が多い。  音に敏感で耳を塞ぎながら歩いているのに、なぜ自分が出す音はボリュームが大きいのか。毎晩自分の部屋をまっくらにしてパソコンの画面は最大に明るくしてずっと眺めているのに、なぜ目が疲れないのか。  なぜ外でも家の中でも常に走っているのか。彼が普通に歩くのをみたことがある人はまずいない。そしてものをゆっくり噛むということができない。食べるにしても、ドアを閉めるにしても、常に24時間全力投球だ。  こんな摩訶不思議ながっちゃんがここ最近になって少し人間性が出てきたの。もっというと「社会性」がでてきたといえるだろう。言葉は相変わらずだが、表情での意思表示や意思疎通が人とのやりとりらしくなってきた。  最近がっちゃんが建物の上から下を走る車を眺めていた時のこと。夕方の暗がりの中を走る車のヘッドライトを見てがっちゃんがこういった。  「くるま、きれー」  翌日ココさんが「がっちゃんが何かをみてキレイだといったのって初めて! そういうことを感じることがあるんだ~!」とうれしそうに話してくれた。  ハタチになり「社団法人byGAKU」の設立を期に、息子が普段絵を描いてるアトリエもリノベーションした。それを見たお客さんが「すごくかわいい!」と褒めてくださるのだが、もちろん一番テンションが上がったのはGAKU自身だ。  そのアトリエにはたくさんのゲストが来てくださる。ゲストに対して挨拶をし、そして取材ではカメラを向けられれば自己紹介をするようになった。何よりもアート関係者がまじめにアーティストGAKUの活動を見てくれるようになった。  「Gaku, twenty years old, Gaku Paint(ガク、20歳、絵を描く)」  そう、がっちゃんはハタチになり、アーティストGAKUとして次のステージにすすんでいくのである。


    引用先:いまだ未知数…発達障害の息子は「こんな風に、周りが見えている」と知った時の衝撃(現代ビジネス) – Yahoo!ニュース


様々な問題やトラブルに対応

「男女のお悩み」解決サポート

PAGE TOP