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[ひきこもり]土浦28歳ひきこもり・両親姉惨殺

2004.11.24

ほどなく、家の中に足を踏み入れた捜査員たちは、あまりの凄惨さに息を呑む。その家で息をしていたのは、生後11ヶ月の男の子だけだった。酸鼻極まる、陰惨な血の海に横たわる3つの死体。玄関には頭部や顔面を滅茶苦茶に叩き割られた父・飯嶋一美(57)、床の間のある8畳の和室には頑や顔や腹に百ヶ所以上の切傷を負い、頭部を叩き割られた姉・石津幸江(31)、トイレ前の廊下には母・澄子(54)の刺殺体。母親以外は直視できないほど無残な姿だった。
3人を殺害したのが通報者であり、この家の長男、飯嶋勝(当時28)だった。

★1,「土浦28歳・両親姉惨殺事件」経緯—————————-

飯嶋家は、代々この土地の地主で祖父は市議会議長。父も市役所の幹部。いわゆる地方の名士でした。父親(一美)は、外面は「穏やかないい人」でしたが、内面はDV夫であり虐待親でした。

殴られ続けた飯嶋勝少年は、小学校の頃から母親(澄子)に暴力を振るうようになります。自分の身に受けたことの吐き出しが、早くも小学生の時点から始まったわけです。

母親は勝の高校時代、「もうすぐ勝が帰ってくる。1人にしておけない」と言って立ち話を切り上げることがあったそうです。両親は勝が高校2年生の時、精神保健センターに相談。

高校3年生から友達と会話した事はなく、徘徊や暴力などくりかえしていたようですが、「家で体に悪いものを浴びているから、外でマイナスイオンを浴びている」ということを言っていたそうです。

専門学校を中退して19歳から引きこもった勝の部屋は、『父親がいつもいる茶の間と廊下を挟んだだけの位置にあり、廊下に面した引き戸をいつも開けておくように言われていた。(閉めておくとまた虐待)』『部屋は机と布団くらいで本や雑誌も皆無だった。父親がいる間はトイレも何もかも我慢して、家族の団らんをすぐそばに感じながら、その部屋に引きこもってた』

平成13年(25歳)、勝は家を出ますが、半年で家に戻ります。
『「なぜ就職しなかったのか?」と聞かれた勝は、抑揚のない声で「父が就職のための書類を取ってくれないから」と答えて』います。父親の職場で取ってもらう必要がある書類があったようです。

平成15年(27歳)、両親は再び精神科医に相談し、統合失調症の疑いがあると言われて通院か入院を勧められますが父親が反対。

平成16年(28歳)4月から博物館勤務になった父が家で過ごすようになり、勝のストレスは増大したことでしょう。母は保健所に相談に行きますが、それに対して父親が激怒。

平成16年6月、台所で偶然鉢合わせになったとき、父は勝に怒鳴り散らします。「いい若者が昼間から働きもしないで、いい気なもんだな。とっとと働けよ」。これに対して、「父が死ぬまで待とう」と考えていた勝に『暴力ですべてを思い通りにする、汚いヤツが何を言う。次は、殺してやる』と、初めて殺意が芽生えます。

そして平成16年11月24日。帰省していた姉(幸江)とストーブをつけるつけないで口論。その口論の内容を姉が書き留めたメモを発見。父親に告げ口しようとしていると思い込み、「ふざけんな。こんな事したら殺人事件を起こすのが分からないのか」と殴打。その後、姉が電話しているのを「病院に電話しているんだ」と思い込み、母と姉の殺害を決意。

キッチンで家事をしている母親の左手をひっぱり、包丁を見せたあと頸部と頭部を刺して殺害。続いて、茶の間で鉢合わせした姉の顔面や頭部を何度も突き刺し、倒れた後は身体を突き刺し殺害(百ヶ所以上)した上、頭部を金槌で殴打。

ここで疲れて自首を考えましたが、父親こそ自分を苦しめている張本人であり、このまま終わらせる事はできない、と考え直したそうです。その後、自室で父の帰宅を待ち伏せし、頭部や顔面を滅茶苦茶に殴打。

その後、父親が行く予定だった尺八教室に「父は急な出張で休みます」と断りを入れ、茶の間に座ったり、テレビを観たりして過ごしました。

翌朝8時、警察に電話をかけ、「母と姉と父を殺しました。以前から仲が悪かったんです。父は金づち、母は包丁、姉は金づちと包丁で殺しました」と話して逮捕されました。

引用先 記事詳細URL
http://d.hatena.ne.jp/iDES/20061105/1162752988
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-2510.html

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