ニュース情報
ひきこもり報道におけるメディアの問題点とは 池上正樹×斎藤環×荻上チキ
2016.05.30
テレビ朝日「TVタックル」の『ひきこもり特集』で、フリースクールを運営する団体の代表がひきこもっている男性の部屋の扉を突き破るなど暴力的な映像を放送したことに対し、精神科医の斎藤環氏がツイッターやフェイスブックで異議を唱えた。ひきこもり報道におけるメディアの問題点とは?ひきこもりの実態、そして支援の在り方について、斎藤環氏とジャーナリスト・池上正樹氏が語り合う。2016年03月28日放送TBSラジオ荻上チキ・Session-22「”ひきこもり”をめぐるメディア報道に異議あり~本当に必要なひきこもり支援とは?」より抄録。(構成/大谷佳名)
■ 荻上チキ・Session22とは
TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/
「ひきこもり」とは?
荻上 ゲストをご紹介します。精神科医の斎藤環さんです。よろしくお願いします。
斎藤 よろしくお願いします。
荻上 そして、ひきこもり問題を取材する、ジャーナリストの池上正樹さんです。よろしくお願いします。
池上 よろしくお願いします。
荻上 今回、斎藤さんはひきこもりに対するメディアの取り上げ方について問題提起をされました。そのお話の前に、まずは「ひきこもりって何なの?」というリスナーの方も多いと思います。「ひきこもり」とはどういった状態のことを指すのでしょうか。
斎藤 定義上は、精神疾患などの問題に依らずに6ヶ月以上、社会参加をしていない人を「ひきこもり」としています。
荻上 ということは、何かの病気によって半年以上休んでいる方はひきこもりには当てはまらないわけですね。
斎藤 通常、統合失調症やうつ病などの病気でひきこもっている方については、その病気のカテゴリで治療や支援を行うことになります。日本では2000年代初頭から、そのような疾患がなくても長期間ひきこもる若者が非常に増え、ひきこもりが社会問題として注目されてきました。
荻上 いま日本にひきこもりの人はどれくらいいらっしゃるのですか。
斎藤 2010年の内閣府の発表では約70万人と報告されており、一応、これが公式の数字とされています。ただ、統計をとるたびに数が違っていますし、統計手法も非常に控えめになりやすい手法を用いているので、私はもう少し多いのではないかと推定しています。間違いなく100万人はいるはずです。
荻上 そうした方々は「病気ではない」と定義されるわけですが、ではどうしてひきこもりという状態になってしまうのでしょうか。
斎藤 さまざまな原因があります。たとえば、不登校が長期化して大人のひきこもりになってしまうケース。最近多いのは、一旦、就労したものの人間関係やパワハラなどを理由に退職してひきこもってしまうケースです。他にもいじめを受けて人間不信になりひきこもってしまうなど、いろいろなきっかけがあります。
荻上 たとえばパワハラやいじめが原因の場合、実は診断すれば「うつ病」に当てはまる方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか。
斎藤 はい。その判別は難しいところですが、もともと病気の傾向がなくてもひきこもりになってしまう方はたくさんいらっしゃいます。一方で、長期間ひきこもっていると、いわば二次症状としてうつ病になるケースもあります。そうなると、どちらが先なのか分からなくなってしまうんですね。この場合は、うつ病の症状に対しても治療をして、同時にひきこもりに対しても支援をしていくことになります。
荻上 病気の有無に問わず、ある状態のことを「ひきこもり」と定義する。しかし、個人によってはさまざまな病気の可能性もあるわけですね。
斎藤 よくひきこもりのことを病気の名前だと思っている方がいらっしゃいますが、これは臨床単位の診断名ではなく、「不登校」「寝たきり」などと同じくコンディション・状態像を指す言葉です。
荻上 なるほど。一時のメディアの影響もあり、ひきこもりは部屋の中に閉じこもっていて、親とのコミュニケーションもなく紙一枚でやりとりするというイメージがありますが、これはかなり誇張されているようですね。
斎藤 もちろんそうです。しかし、多くの人がひきこもりの人は外出ができないと思っていますよね。だから、ひきこもり当事者がインタビューを受けていると「ひきこもりではないじゃないか」と言う人がいます。実際は、ある統計によると条件さえ整えば8割以上の人は外出ができるんです。私が見ているひきこもりの人でも、投票だけは行くという方が多くいらっしゃいます。
要するに、ひきこもりというのは外出できるかできないかは関係ありません。そうではなくて、社会に居場所があるかないかで分類をします。仕事や学校に通っている人、どこにも所属していなくても友人関係がある人、安定的な社会との関係がある人は、ひきこもりとは呼びません。
荻上 たとえば、ひきこもりでもコンビニへ買い物に行く方はたくさんいらっしゃる。ただ、仕事などで社会性のあるコミュニケーションをとることが困難だったり、長い名前のコーヒーを注文するときに店員とやりとりするのが難しかったり、線引きは人それぞれということですね。
高齢化する大人のひきこもり問題
荻上 これまでのひきこもり対策ではどういった取り組みが行われてきたのでしょうか。
斎藤 まず治療としての支援があります。私は精神科医なので精神医療の側からさまざまな場面で提言をしてきました。また、厚生労働省も研究班を組み、支援方法のガイドラインを作成しています。しかし、治療としての支援は比重が小さく、やはり一番大きいのは就労支援です。
荻上 一つの出口としての就労ということですね。
斎藤 おそらく、これまでの日本でひきこもりの社会復帰、社会参加に最も大きく寄与してきたのは就労支援です。寮で生活させるなど、いろいろな方法で就労につなげる。こうした支援は非常に大きな柱となっており、ひきこもりが社会問題となった当初から数々の団体が取り組んできました。
荻上 つまり、治療という、本人のメンタルに対する支援だけではなくて、生活環境そのものを一緒になって改善していくことが必要になるわけですね。
斎藤 そうです。ひきこもり当事者の家族の方々が集まる、「家族会」もあります。当事者を支える家族への支援やケアなども非常に大事になります。
荻上 なるほど。ところで、ひきこもりの方は女性よりも男性が多いと聞いたことがあるのですが、本当にそうなのでしょうか。
斎藤 男女比についてはさまざまな説があります。ニートに関する統計では、男女比がほぼ半々に近いです。一方で、ニートとひきこもりは成り立ちが似ているのに、ひきこもりの統計では7〜8割が男性なのです。
一つはっきりしていることは、男性の場合はひきこもりが事例化しやすい、問題視されやすいということです。つまり、大学新卒ですぐ就職しなかった場合に、男性と女性どちらがプレッシャーを受けるかというと、やはり男性です。女性は今でも「家事・手伝い」と言われ、多少は免責されやすい状況がありますよね。ですから、ひきこもりのレッテルを貼られにくい。そうしたことを割り引いていくと、圧倒的に男性が多いとは私は思えません。
荻上 年齢層でいうと、どの年代が多いのですか?
斎藤 それもいろいろなデータがありますが、私の統計ではだいたい30代の方が多いです。年齢に関していうと、一番顕著なのは平均年齢が年々上がっていることです。20年前に私が行った調査では平均年齢は21歳です。そして6年前の調査で32歳。そして去年の調査では34歳でした。
年齢が上がっている理由として、私の推測では2つあります。一つは、ひきこもりのきっかけが起こる年齢が上がってきたこと。昔は不登校からひきこもる人が大半でしたが、最近は退職してひきこもる人が増えました。ですから、問題が起こり始めるのが昔は15歳だったものが、今は20歳くらいになっています。
それからもう一つは、長期化しやすいということです。ほとんどの人は、一旦ひきこもるとそのままの状態で歳をとり続けてしまいます。抜け出す人も中にはいらっしゃいますが、多数派はそのまま止まっているので必然的に平均年齢は上がります。
荻上 以前、池上さんともこの番組で「大人のひきこもり」をテーマにお話したことがありますよね。いま、高齢化するひきこもりの問題は大きくなっているとお感じになりますか。
池上 そうですね。今は40歳を超えてきた団塊ジュニア世代が、非常に大きなボリューム層としてあると感じています。毎日、当事者の方々とメールでやりとりする中で思うのは、一旦、社会からこぼれ落ちた人たちがまた戻ろうとするときに大きな障壁にぶち当たってしまう。それがなかなか打開できない状況にあるということです。雇用環境の変化などが高年齢化に非常に大きく影響していると思います。
荻上 学校、会社に進んでそのまま老後を迎えるというコースを外れた人たち向けのサポートが存在しない。いじめがきっかけで不登校になったり、病気やパワハラが原因で会社を辞めるという形でドロップアウトしてしまった場合に、昨今の政府用語でいうところの「再チャレンジ」をするような梯子があちこちにあるわけではないということですね。
池上 はい。ひきこもり状態になる人は個人に問題があるかのように言われることが多く、そのために本人がますます発言しにくくなるという状況があります。本人がなぜそうなったのかというストーリー自体がまったく想像されることもなく、誰も分かってもらえない、受け止めてもらえない。関係性が遮断され、だんだん孤立していくということがたくさん起きていて、国全体の問題になっていると思います。
どうすればいいのか分からない
荻上 リスナーからこんなメールがきています。
「私の近所にもひきこもりの人がいます。中学生1年を一週間くらいしか行かず、卒業しました。学校側も煩わしいようで、ほとんど連絡なしだったみたいです。卒業しても家に引きこもっていて、このまま世の中に出ることもなく年をとるのでしょうか。ご両親が亡くなった後が心配です。」
「ご両親が亡くなった後」とは関係者の間でもよく議論されているところではありますが、やはり高齢化に伴い、家族だけでひきこもりの方を支えることがより難しくなっていくわけですよね。
池上 そうですね。ご両親が70、80代という年齢になってきて、今は年金生活でなんとか維持しているけど、なかなか子どもの打開策が見出せない。情報も少ないし、どうすれば良いのか分からない。子どものことを隠したいということもあって人脈自体も無くなっていき、家族ごとひきこもってしまうというケースがあちこちで起きています。
荻上 そうした中で極端な事例として報道されるのは、たとえば家族内の殺人であるとか、無理心中であるとか、年金を受け取るために亡くなった両親のことを役所に伝えなかったりと、事件化されるケースも一部にはあるわけですね。
池上 報道では当事者だけが悪いかのように取り上げられがちですが、情報がもともと遮断されていて、どうして良いのか分からないという現状があるんです。本当は情報をどうやって届けていくのかが社会全体で問われているのに、それを検証することなく、ただ個人を攻め立てるようなことが起きている。そうしたことが、本人や家族をますます追い詰めてしまうのです。
荻上 そんな中で、たとえば「親の会」など親同士が情報を共有できる場が作られたり、あるいは就労支援など当事者と社会をつなげる接点ができたり、まだ不十分ではあるけどサポートが徐々に整いつつあるという状況なのでしょうか。
池上 そうですね。やはり支援において重要なのは、関係性の再構築だと思います。その支えがあることによって、どんな状況であっても生きていける、社会でやっていけるという充実感にもつながっていきます。それが無いままに施設に放り込んだり、無理やり仕事につかせても、またひきこもる繰り返しになってしまいます。
「ひきこもりは犯罪者予備軍」
荻上 今回、斎藤さんはひきこもりのメディアでの取り上げられ方が問題だと指摘されました。出発点となったのはどのような問題提起だったのでしょうか。
斎藤 テレビ朝日の「TVタックル」で放送された『ひきこもり特集』で、ひきこもりの「支援」を行う業者が当事者を外に出すためにドアを蹴破ったり、大声で恫喝したり、長時間の説得という暴力的対応を繰り返す様子が放送されました。そうして当事者を引っ張り出して寮に入れ、作業に従事させ就職させて上手くいきました、という流れになっています。
このモデルは、10年くらい前の名古屋の「長田塾」や「アイ・メンタルスクール」、もっと遡れば「戸塚ヨットスクール」などに極めて近いものです。日本ではこうした「拉致監禁支援」と言われるような、暴力による支援モデルが綿々と受け継がれており、それが社会で非常に肯定的に評価されます。まるで悪者退治のように。
荻上 親のすねをかじっているんだから当然だと。
斎藤 かつて、こうした支援は非行対策として行われていました。非行に対抗する暴力として容認されていた部分はあったのだと思います。しかし、なぜかひきこもりは非行と同じくくりで見られやすく、東京都も治安対策本部がひきこもり対策を担っているというおかしな状況があります。
荻上 ひきこもりの方々はそもそも治安を乱すようなことは起こしにくいと思いますが。
斎藤 これには理由があります。ひきこもりという言葉が広く知られるようになったのは、2000年に新潟県柏崎市で起こった少女監禁事件です。そして、ちょうどその同じ年の5月に佐賀でバスジャック事件があり、ひきこもりというよりは不登校だった高校生が逮捕されました。これらの事件の影響で、ひきこもりは犯罪者予備軍というイメージが社会に広がりかけました。もちろんその認識は事実に反しています。私はその少し前にひきこもりに関する本を書いていたので、火消しに回った経緯があります。
最近はそうした事件は減りましたが、やはり「問題行動」「非行」というくくりで見られており、まさに親のすねをかじりながら、親を殴ったり蹴ったりするようなダメ人間、というイメージで捉えられているように感じます。「そうした連中は矯正されてしかるべき」というような、ある種の社会的正義感のようなものを、民間の業者が代行してしまっているわけです。
勧善懲悪のストーリー
斎藤 とは言っても、10年前の長田塾は元寮生から訴えられて2007年に敗訴しており、100万円の賠償金を払わされています。アイ・メンタルスクールは2006年5月に、拉致監禁した塾生を暴行し、外傷性ショックで死亡させるという事件を起こし、経営していた杉浦昌子氏が逮捕され懲役3年6ヶ月と実刑が確定しています。同じ年に立て続けに問題化し、一時期これはやばいとさすがに思ったのか、この手の報道は少し鳴りをひそめました。それが最近、ほとぼりが冷めたと思ったのか分かりませんが、またあのような支援モデルが復活してきたというわけです。
我々精神医療の関係者としては、あのような支援モデルを止めることができず、結果的に事件が起きてしまったという後悔があります。ですから、今回ばかりは絶対に看過できないと思い、問題提起に至りました。
荻上 他の病気で寝たきり状態になっている方には「すねかじり」という言葉を使わないのに、ひきこもりに関しては使われている。他の精神疾患であれば無理やり引きずり回して散歩をさせるなんて人権侵害だと言われるのに、ひきこもりに関しては無理やり仕事に就かせることがゴールだとされている。これはある意味、メディアによってひきこもりの人たちが差別されている状態だと捉えても間違いではないですよね。
斎藤 まさにメディアが差別意識をまき散らしています。しかし、ひきこもり状態はもうそれほど珍しい問題ではありません。たとえば町田市の調査では、人口の5%もひきこもり状態だというデータもあります。自治体単位で統計をとるとすごい数になるんです。この中にはアルコール依存やうつ病など他の病気でひきこもっている人も含まれています。
今回のフリースクールは、病気かどうか分からない人も対象にしていますが、本当は医療チェックを最初にしなければなりません。発達障害、統合失調症、うつ病の可能性がある場合、同じ支援モデルで対応してしまうと症状が悪化したり、トラウマになるリスクが非常に高いです。ですから、配慮もなしに一括りでひきこもりとして扱ってしまうのは、人権的にも医療的にも大変問題があります。
荻上 そうしたモデルがもともと問題視されてきた中で、今回の報道は具体的にどういった問題点があるとお感じになりますか。
斎藤 まず、カメラの前で堂々と暴力が振るわれている。ドアを蹴破るなどの器物損壊は暴力であり犯罪です。その他にも強要罪に該当する暴力や不退去罪など、さまざまな法に抵触しかねない暴力行為が行われています。DV臨床では、暴力の定義とは個的な領域、つまり個人の尊厳や心身を同意なく侵犯する行為とされていますから、これはきわめて暴力的な「支援」です。
今回のような番組では、親がこんなにひどい目にあっている、こいつは悪者であるというコンテストがあらかじめ作られた上で暴力が振るわれているので、視聴者もなんとなく納得してしまうわけです。こんなモンスターなら仕方がないというように。だから暴力肯定の方に傾いてしまうわけです。
しかし、どんな理由があれ、無資格の民間人による露骨な暴力が大手メディアの番組で肯定的に扱われるという事態は、すくなくとも欧米圏のメディアでは考えられません。今回の問題で日本のメディアの後進性が露呈したように感じます。私はそうしたメディアの体質を問題にしたいのです。メディアという公的な場所で堂々と人権侵害が行われ、それを見てみんなが喝采するという、昔のローマの闘技場のようなことがあって良いのか。
とくに、今回のような団体を肯定的に取り上げているメディアにはテレビ朝日、フジテレビ、TBSといった民放テレビ局も含まれます。どのメディアも共通で人権意識が低いと思われても仕方がない状況です。
荻上 斎藤さんは今の状況がエスカレートして、かつてのような事件につながってしまわないかと懸念されているんですよね。
斎藤 そうです。ほんの10年前に、長田塾の長田百合子がメディアに引っ張りだこになり、一時期は有識者までもが誉めそやしていたような時代があったんです。それが暴走した結果として事件が起こり、被害者が出ているわけですから、もうそれを繰り返したくないと思っています。
荻上 なるほど。池上さんは今の問題提起、どうお感じになりますか。
池上 やはりメディアの安易な報道のあり方をしっかり見ていかなければならないと思います。非常に問題なのは、メディアによって単純な勧善懲悪のストーリーに落とし込まれてしまっていることです。社会全体の課題に迫るという大事な部分も抜け落ちていると思います。
荻上 問題の複雑さを丁寧に解説するのではなく、むしろ単純化することによって炎上マーケティングのように番組を仕上げる。そうした構造はありふれているので、ひきこもりというテーマは格好の材料として目に止まってしまうのでしょうね。
池上 どうせ批判は来ないだろうという前提で、ひきこもりの人たちを一緒くたに悪として、「扉の向こうにいる人」という絵と強烈なインパクトで伝えようとする。なぜ抜け出せなくなったのか、きちんとすることもなく、ある部分だけ切り取って伝えてしまうことの恐ろしさを感じますね。
荻上 池上さんは普段、ひきこもり当事者の方を取材される際にはどういったことを注意されていますか。
池上 私はできる限り相手との関係性を丁寧に作るようにしています。基本的には、いきなり取材という形ではなく、本当に記事にして良いのかどうか、時間をかけて確認をします。とても優しい方が多く、なかなか断れない性格の方もいらっしゃるので、そうした部分も理解した上で丁寧なやりとりをしていくことが大事だと思っています。
荻上 今回問題となっているメディアの取り上げ方は、当事者の同意を得たのかどうか、番組を見る限りではかなり疑問がありますよね。
斎藤 事前に同意が得られているとは到底考えられません。事後的には得ているかもしれませんが、それも「同意するよね?」と返事を強要されている画しか浮かんできません。もちろんドアを蹴破る前に同意を得ているとは思えませんし、仮に同意を得ていたら、これはむしろ悪質な「やらせ」ということになってしまいます。
「当事者を紹介してください」
荻上 池上さんは取材をされる中で、当事者の方々が抱えている課題や悩みをどうお感じになっていますか?
池上 背景は人それぞれですが、「人並みの生活」という将来像が描けないことで苦しんでいる方が多い印象があります。そうした方々の障壁になっているのは何なのか、一緒に考えていくことが大切だと思っています。
荻上 一方で、それだけ多くの方を取材されていると大手メディアなどから「当事者を紹介してください」というような申し出が多いのではないですか?
池上 はい。非常に多くて、何度もお断りしています。とくにテレビ局の方々はどうしても絵が必要なのでしょう、そうした依頼が多いです。例えば、テレビ局の方から「大人のひきこもりを取り上げたい」ということでインタビューの依頼があり、インタビューならいいですよと引き受けると、いきなり当事者を紹介してくれという話から始まりまして。話を聞いていると、「当事者の自宅に行きたい」「家庭訪問するところを一緒について行きたい」というような話になっていくのです。
荻上 それは他人の取材にタダ乗りすることにもなりますよね。
池上 報道のあり方という根本的な問題ですよね。自分たちで当事者との関係性を築いて、OKをもらった上での取材なら問題はないのですが、何もしないでただ扉の向こうでひきこもる絵がとりたい、そういう考えがみえてしまう。
荻上 それでは取材相手との信頼関係を壊されてしまうことにもなりますよね。
池上 本人が「自分は何もやましいことはしていないから、出ますよ」といって取材に応じてくれたとしても、結局、予想もしなかった形で傷つけられてしまう可能性もあります。私との信頼関係も壊れますし、何もメリットがないです。そうしたところは本当に気をつけなければならないと思います。
荻上 斎藤さんのところにもメディアからの「当事者を紹介してくれ」という雑な依頼がくることはありますか?
斎藤 すべて断っています。ただ、2002年にBBCが取材にきたことがあり、そのときは私が主宰しているデイケアに参加してもらい、直接、当事者の方の了承が得られたら取材OKとしました。その際も契約の条件として、とにかく説得はしない、強引なことは言わない、番組を製作後に本人が嫌がった場合は取り消すといった内容を盛り込みました。何度も支援現場に参加して、ていねいに当事者との関係性をつくった上で合意にとりつけるのであれば、必ずしもすべて否定はしません。
ただ、2000年代初頭の取材は今よりもまだ丁寧だったと思います。たとえば、あるひきこもり当事者の家の中が紹介されて有名になったケースがありますが、これは半年ほどかけて関係性をつくった上で取材を行っています。それくらいの丁寧さが本当は必要なんです。ところが今は「すぐ絵が欲しい」と言ってくる。おそらくこのフリースクールにいくつかの局が飛びついたのは、すぐに絵を出してくれる、同行させてくれる業者がここくらいしかなかったからだと思います。
荻上 通常の倫理感がある団体であれば、そんなに簡単に患者さんを紹介することはありえないですよね。
斎藤 私は「患者を売る」と言っています。それをしないことが最低限の倫理だと思います。
荻上 私もいじめ関係のNPOの代表をしていて、メディアの方からの電話で多いのが、「『LINEいじめ』で学校に行けなくなった子どもを知りませんか」とか「学校の先生で、生徒からのいじめで休職した人がいれば紹介してください」とか。そんなことできるわけがないですよね。
でも、今の子どもたちはヤバいことになっているとか、荒れた学校の現実を明らかにしたいと言われるので、実際は統計上、いじめも犯罪も増えていないということから説明する必要があるのですが、そこを踏み込んで「こんな子を用意してくれ」と。そうしたメディアの報道スタイルは各分野で蔓延していますよね。
斎藤 完全に手抜きですね。
対話の回路をじっくり開いていく荻上 リスナーからこんなメールをいただいております。まずは一通目。
「実家にいる36歳の弟は仕事をほとんどせず、両親に生活を依存しています。個人的に一番困るのは、まともなコミュニケーションがとれないことです。とにかく自分にとって都合の悪い話になると通話中の電話も途中で切ったり、直接会って話している時でも『うるさい』『兄貴には分からない』と言ってまともに返答をしません。その代わりに、いかに自分が家族から軽んじられていたかとか、親が自分の銀行口座からお金を盗んだとか、訳の分からない被害妄想を延々と話し続けます。
同じ家族でもここまで話が通じないことにショックで、もうコミュニケーションをとることでの解決は諦めています。弟のことはただのひきこもりではなく、両親虐待、育児放棄を繰り返す虐待加害者だと思っていますが、法的に部屋から叩き出す方法がないため、途方に暮れています。母とも何度か、『いっそ口喧嘩の最中に包丁か何かで刺してくれたら、警察を呼んで強制的に叩き出せるのに』と笑えない冗談を言い合っています。解決に向けて何かのヒントでも伺えればと思い、メールさせていただきました。」
続けて、二通目のメールです。
「精神科医志望の医学生です。今回問題となっている番組を見て、その強引さに閉口しつつも、内心、敗北感を感じました。その理由は、このフリースクールの人心掌握、更生のやり口のうまさと、動画サイトのコメント欄や斎藤さんのツイートへのリプライでいくつか散見された、『精神医療不信』といった内容、そしてフリースクールへの賞賛の声です。ひきこもり当事者の方々への過度な人権侵害は徹底して改めるべきですが、その上で、精神医療その他の支援事業と、このようなフリースクールとが連携をとっていける道もあるのではないでしょうか。」
この二通は大事なご指摘だと思います。一つ目は、暴力的であったとしてもすぐに問題を解決できる方法を知りたいという声ですね。二通目は、社会の反響として、このフリースクールのやり方に拍手喝采をする人たちがたくさんいると。それに対して一医療関係者として頭をかかえるというメールでした。このメールについて斎藤さん、いかがでしょうか。
斎藤 ひきこもりが問題になった当初から、「会話が通じないから暴力しかない」という議論はずっとあります。我々が苦心してきたのは、そういった方々にどうやって対話の回路を開くべきか、そして開かれた後にどう支援するべきかということで、その方法論をずっと考えてきました。
本来ならば当事者が高齢化した場合の経済的な困窮、あるいは親なき後の問題まで射程を広げて考えることができれば良いのですが、なかなか力及ばずで、そういった知見が伝達できないために医療は全く無力であるという誤解が広がっているように思います。
とはいえ、医療が非常に頑張っていると胸を張って主張できない状況はまだあります。ひきこもりの治療を希望しても受診を断られてしまうケースがまだまだ多いという現実があります。あまり堂々と「医療に頼ってくれ」と言えないのがジレンマなのですが、支援や治療の方法論としては十分に確立していると私は思っています。
ここで全ての対応についてお話しすることはできませんが、たとえば先ほどの話が通じないケースに関していうと、肉親の方はどうしても「ディスカッション(議論)モード」になってしまうんですね。「今の状態を何とかしろ」という話は本人が一番嫌うものなので、そこを切り口にいるといつまでたっても話が通じないのは当然です。
そこで私が提案しているのは「ダイアローグモード」です。ダイアローグというのは結論を出さない会話、意味のないおしゃべりです。そういう形で対話の回路をじっくり開いていけばコミュニケーションは可能なのです。時間を掛けて関係性を作り上げた上で治療や就労につなぐ。
そうではなくて早急に結論を出そうとすると、どうしても議論になってしまいます。本人は議論を絶対に受け付けませんから、そこで失敗しているわけです。まずは家族の方のコミュニケーションモードを変えていただくことが非常に大事なポイントになると思います。
荻上 いま厚生労働大臣も、ひきこもりに対する対応のガイドラインを発表していますよね。
斎藤 はい。このガイドラインは非常に抽象的で、正直、すぐ現場で役に立つとは言い難いものですが、ノウハウはここに詰まっています。最初に家族の支援があり、次に個人療法があり、その次に集団に参加する。私が書いたマニュアルや本などでもほとんどこのモデルに基づいて、どう家族にアドバイスし、本人との関係性を再構築できるのか書いています。しかし、少し情報量が細かすぎることもあり、行き渡るのに時間がかかるのかもしれません。ただ、方法論がないわけではないということです。残念ながらそれを10年経っても浸透させられなかったという無力感はあります。
池上 2010年のガイドラインは医療中心の内容となっていますが、やはり不十分な部分もあるということで、いま厚労省が家族会に委託する形で拡充したガイドラインを作成しています。「家庭内暴力があったときどう対応すれば良いのか」など、家族会の長年のノウハウ、家族が抱えてきたものを提供していこうという取り組みです。このガイドラインは4月以降に公表されるので、こちらも参考になるかと思います。
斎藤 また、内閣府によるガイドラインも作られています。ひきこもり問題はずっと縦割りで進められてきました。内閣府は内閣府の対策をたて、厚労省は厚労省の統計があるというように、非常に無駄な予算が使われている感は否めないと思います。
人権への配慮に欠けた報道のあり方
荻上 そうした中で、さまざまな対策も行われており、親の会など、当事者を支援する団体も数多くあります。本当はそうした情報をメディアが届けていくことが必要であり、それが命綱にもなるわけですよね。
池上 やはり、これまで蓄積された支援のノウハウを提供していくことが重要だと思います。今回の番組に関してはそうした一般的に取り組まれている支援情報の紹介がなく、非常に偏った内容だったと思います。議論も批判もなく、終始宣伝のようにこのフリースクールが紹介されていて、公正さも欠けていると思います。
実は先日、今回の件でテレビ朝日に取材をしました。取材に応じていただくまで何度もたらい回しにされましたが、ようやくFAXで質問書を送ってくれと電話をいただきました。私の質問は、このような暴力的かつ不公正な番組を放送したことについてどのように捉えているのかというのが一点。そして、今回の件について斎藤先生がBPOに審査を申請されていますので、そのことについてどう受け止めているかという質問でした。
それで何日か経って返ってきた回答は非常に短いものでした。「当該特集は、高齢化するひきこもり問題を社会問題の一つとして取り上げたものであり、特定の組織、団体の宣伝に当たるものではないと認識しております」と。またBPOに関しても、当方はお答えする立場ではありません、ということでした。
荻上 箸にも棒にもかからないという感じですね。斎藤さん、これについてはいかがですか。
斎藤 メディアの対応はこんなものだろうと期待はしていませんでしたが、もう少し人権的な配慮があってしかるべきだと思います。まるでひきこもりには人権がないのが前提、というような番組の作り方でした。これがホームレスでしたら、もっと非難轟々だったはずです。
しかし、番組の中で事前に「親をひどい目にあわせるひきこもり」という文脈を作っており、視聴者はその「勧善懲悪バイアス」の中で見ざるを得ない状況でした。ですから、「あのくらいの目にあっても仕方がない」という意見を寄せ集めてしまっていますよね。
荻上 この国のいろいろな問題をあぶり出すような報道だったと思います。子どもについては親が一定程度所有権を持っている。子どもの人権を親であれば制限しても仕方がないという考え方は根強くありますよね。だから、親のすねかじりという観点に一度ロックされたならば、ひきこもりから脱出するためならどんな手段を使ってもいい。なぜなら働いて生きることこそが善だから、という考え方になってしまう。
斎藤 いまだに多いのが、「義務を果たしていない連中には権利なんてない」というような村人の論理がまかり通っていて、どんな人にも無条件に人権がある(天賦人権説)という先進諸国では当たり前の常識がまったく共有されていないということです。
荻上 今後はそうした報道のあり方に対して、どう訴えかけていくおつもりですか。
斎藤 今回のような団体の根絶はなかなか難しいので、まずは彼らがメディア上に出てこられない状況を取り戻すことです。マスコミでこうした情報が好意的に放送されることはあってはならない。その当たり前の認識を定着させていきたいと考えています。そのためには署名活動をしたり、4月4日の記者会見でもメディア各社に申し上げたいと思っております。
荻上 BPOに関してはいかがですか。
斎藤 当然、審査を申し入れました。Twitter上でも賛同してくださる方々に協力をお願いしております。しかし、BPOは頼りないという話も聞きますので、複数の回路で主張を展開していきたいと思っております(結果的に審議の対象にはなりませんでした)。
荻上 BPOは取材時の手続きの誤りや誤報など、ジャーナリストの日常の仕事に関する審査は厳しくやる面もありますが、例えばSMAPの謝罪会見はパワーハラスメントなんじゃないかとか、LGBTの取り上げられ方が差別的なんじゃないかとか、いわゆる人権問題の議論については腰が引けているところがありますからね。
親亡き後のライフプランを組み立てる
荻上 そうした中で、ひきこもり問題で悩んでいる方はどのようなところに相談すれば良いのでしょうか。
斎藤 最初の窓口としては、都道府県政令指定都市に設置されている「ひきこもり地域支援センター」で相談ができますし、家族相談を受け付けているクリニックなどでも治療的な支援を受けることができます。とくに長期間ひきこもっていてコミュニケーションがとれない、あるいは暴力があるようなケースではいきなり就労支援は無理ですから、まずは治療としての支援が適切だと思います。ただし、残念ながら家族相談を受け付けていないクリニックもまだまだ多いですから、まずは相談できるところを探さなければいけません。
荻上 まずは専門家や支援団体につながることが大事だということですね。
斎藤 それから、もう一つ重要なのは親亡き後の問題です。高齢化が進み、今は本人も40〜50歳で、親御さんも70〜80歳という状況です。親亡き後の生活については、最近の傾向ではファイナンシャルプランナーが相談に応じてくれます。
私と共著で『ひきこもりのライフプラン――「親亡き後」をどうするか』という本を書いてくださった畠中雅子さんが中心となり、お金をどう運用してサバイバルしていくか、いつの段階から福祉を利用するべきか、具体的な数字に基づいて相談に応じてくださいます。
就労支援団体というのは必ず就労させるという前提で動いていますが、全員が就労するとは限りません。就労できなかったらどうなるのかは全く考えていないんですね。ただ、ライフプランをどう組み立てるかということも大事な視点となってきます。
荻上 なるほど。池上さん、今後必要な制度の拡充についてどういった点に期待したいですか?
池上 やはり、従来型の就労支援自体が行き詰まっているように感じます。支援といっても、本人からすれば他人に人生を強要されているように感じることもあります。ですから、当事者たち自らが自分にあったコミュニティーなり自助活動なりを見つける形が望ましいと思います。
今はインターネットの時代で、みんな自由にコミュニティーをつくったり自助団体をつくったり、自分で居場所を選べるようになってきました。参加していくことで仲間ができたり、生き方を探したりして、次の転換に繋がっていくのではないかと思います。
解決サポート
〒104-0061 東京都中央区銀座6-6-1 銀座風月堂ビル5F
TEL:03-6228-2767